戦後の干拓事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 17:55 UTC 版)
明治期以後、たびたび干拓が計画されたが、漁業補償などの問題から実現しなかった。1942(昭和17)年には隣接する小中湖の干拓が着工され、5年後の1947(昭和22)年に完成。第二次世界大戦後には食糧対策や失業者対策の一環として全国各地の浅海や湖の干拓が計画され、1952(昭和27)年に大中湖でも干拓計画が承認された。1957(昭和32)年にはすべての漁業補償問題が解決し、同年度より干拓事業が開始されると、総事業費41億円をかけて1964(昭和39)年に干陸し、1966(昭和41)年から始まった216戸の入植は翌年に完了。前述したように琵琶湖の湖面よりも標高が低いため、排水は機械排水に頼っているが、集中豪雨時の排水などに問題を抱えている。
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