戦後の強行遠足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:19 UTC 版)
「山梨県立甲府第一高等学校」の記事における「戦後の強行遠足」の解説
戦後には何度かの反対運動がありつつも現在に至るまで存続している。信濃大町方面コースが交通過多となり、1962年から佐久往還(甲府-小諸間)を約22時間(103km~105km、コースは毎年微妙に変化)以内に歩く終点地制がとられるようになった。女子は、須玉~小海間の約40kmコースである。 2002年の第76回大会において小海検印所手前で暴走車の輪禍によって女子生徒2人が死傷し、一人が軽傷、一人が亡くなった。学校では存続の是非を問う生徒・保護者を対象としたアンケートを実施し、翌2003年2月19日に存続を決定。同年度からは距離、所要時間ともに短縮。その後は安全対策を講じつつ2007年までは男子が甲府-野辺山間を11時間(55.4km)で、女子が須玉-野辺山間を7時間30分(30~31km)で歩く暫定的なコースが採用されている。2008年より男子のみ甲府 - 小海町間の75.3kmに再延長。6年ぶりにコースが変更されるとともに、午後10時出発の夜間歩行も再開。2013年、男子の佐久往還コース(105.7km)が復活。 2020年の第93回大会は新型コロナウィルス感染拡大を受け、男子が県立まきば公園までの43.8km、女子が高根総合支所までの31.0kmと距離を縮小して実施。感染防止のためにスタート時はマスクを着用し、給水所ではコップによる給水ではなくペットボトルを配った。
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