慶應義塾大学部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 18:36 UTC 版)
1890年(明治23年)1月 - 大学部が発足し、文学・理財・法律の三科を設置。従来の正科・別科を普通部とした。 7月 - 大学部設置につき皇室より一千円下賜。第1回衆議院議員総選挙で義塾出身者28名当選。 8月 - 理財科学生池田成彬が米国ハーバード大学に留学。 1892年(明治25年)5月 - 体育会創設。 10月 - 最初の水上運動会を開催。 1893年(明治26年)5月 - 日本法律科を新設。 12月 - 司法省指定学校となり、大学部法律科修了者に判事検事登用試験の受験資格が与えられる。 この頃、別科の修業年限二年(三級)となる(従来は三年四ヵ月、五級)。 1894年(明治27年)11月 - 初めて炬火行列を行う。 1895年(明治28年)8月 - 朝鮮より国王選出の両班出身少壮官吏の留学生入学。 10月 - 亮天社と講師派遣契約。 1896年(明治29年)9月 - 微兵に関する特典適用さる。操練部盛んとなり、銃器を整備。普通部学科課程を改正し、高等科を新設。 11月 - 福澤諭吉、「慶應義塾の目的」を揮毫する。11月16日の評議員会において大学部廃止案を否決。 1897年(明治30年)3月 - 三田理財協会発会(1899年解散)。 4月 - 別科廃止。 9月 - 学制改革を議決。主力を大学に集中し、大学卒業生の養成を目的とすることを決定(翌年5月より実施)。 1898年(明治31年)3月 - 『慶應義塾学報』創刊(1915年『三田評論』と改題)。端艇部艇庫、芝浦製作所構内に竣工(30年11月着工)。 5月 - 大学科(高等科と大学部を統合)・普通学科・幼稚舎の16年の一貫教育制度樹立。大学科に政治科を設置。塾長鎌田栄吉の就任披露園遊会を開催。 塾旗として三色旗を制定。 1899年(明治32年)5月 - 普通学科および大学科卒業生、海軍少主計候補生の受験資格を得る。 7月 - 三田篤学会発会。大学科を大学部、普通学科を普通部と改称する。 8月 - 義塾出身の大学部教員養成のため神戸寅次郎、川合貞一、気賀勘重、名取和作、堀江帰一、青木徹二の6名を欧米に派遣。 12月 - 日本法律科廃止。 エドワード・B・クラークと田中銀之助が慶應義塾でラグビーの指導を行う。 1900年(明治33年)2月 - 「修身要領」献上。 3月 - 大学部卒業生の中等教員無試験検定資格認可(翌年返上)。 5月 - 大学部で洋服と記章付き帽子の着用を義務化する。 9月 - 寄宿舎竣工。 10月 - 台湾人学生8名入学、特別級を設け授業を行う。 12月 - 大晦日に世紀送迎会(第1回)開催。 1901年(明治34年)2月 - 社頭福澤諭吉死去により、全塾休学服喪。皇室より祭粢料一千円下賜。 3月 - 慶應義塾維持会発足。 4月 - 大学部文学科廃止(1904年復活)。 10月 - 庭球部創部。 1903年(明治36年)2月 - 三田政治学会発足。 4月 - 理財学会発足。 9月 - 寄宿舎内に消費組合を設立。 11月 - 三田綱町球場を開設。最初の慶早野球戦を同球場で開催。 1904年(明治37年)1月 - 大学部が専門学校令による専門学校となる。 3月 - 旧塾歌を制定。 4月 - 文学科卒業生の中等教員無試験検定資格再認可。 1905年(明治38年)4月 - 慶應義塾商工学校開校。 9月 - 日露戦争の日本海海戦を勝利に導いた海軍大将東郷平八郎の凱旋を塾長以下教職員、塾生ら新橋駅に迎う。 1906年(明治39年)2月 - 大学部の上に大学院設置。星亨の蔵書約1万3千冊の委託保管を引き受ける。 11月 - 応援の過熱により慶早野球戦中止(1925年復活)。 1907年(明治40年)4月 - 創立50年記念式典を挙行。 5月 - 故・福澤諭吉、帝国教育会から六大教育家の一人として顕彰。 6月 - 財団法人慶應義塾認可。 1908年(明治41年)1月 - 学事評議会設置(1920年廃止)。 8月 - 初めて地方巡回講演を行う。 10月 - 弁論部結成。 1909年(明治42年)2月 - 『三田学会雑誌』創刊。 4月 - 開校記念日を4月23日と定める。 1910年(明治43年)4月 - 各科に主任制度を設ける。三田史学会、三田哲学会創立。 5月 - 『三田文学』創刊。文学科を文学・哲学・史学の3専攻制とする。 1911年(明治44年)4月 - 三高との蹴球(ラグビー)試合を網町運動場にて行う(日本最初の蹴球対校試合)。 8月 - 弁論部の第1回各地巡回講演を行う(太平洋戦争前まで継続)。 1912年(明治45年/大正元年)1月 - 福澤先生記念日を命日(2月3日)から誕生日(1月10日)に改める。 5月 - 創立五十年記念図書館竣工(11月から一般開放)。 10月 - 亜細亜協会の図書約三千冊の委託保管を引き受ける。 12月 - 出版局を義塾直営とする。 1913年(大正2年)4月 - 新聞科設置(1917年廃止)。 9月 - 表門(現在の東館の場所)を石柱鉄扉の西洋式の門に改める。大学予修科設置(1920年廃止)。 1914年(大正3年)10月 - 明大野球部の主唱により慶早明の三大学野球連盟を結成(のちに法政大学、立教大学、東京帝国大学が加わり六大学となる)。 1915年(大正4年)4月 - 三田大講堂竣工。 7月 - 体育会葉山寄宿舎落成。 1916年(大正5年)6月 - インドの詩人タゴールを迎えて講演。 12月 - 大学部医学科設立認可。 1917年(大正6年)1月 - 医学科開設につき皇室より3万円下賜。 3月 - 大学部各科主任を学長と改称(翌月実施)。 4月 - 医学科予科授業開始(学長・北里柴三郎)。普通部が三田綱町(現在の中等部所在地)に移転。 7月 - 日本初の学生新聞『三田新聞』創刊。 9月 - 広尾寄宿舎竣工(のちの幼稚舎校地の一部)。 1918年(大正7年)3月 - 医学科予科校舎竣工(三田の寄宿舎跡)。 4月 - 医学科附属看護婦養成所開設。 8月 - 中華民国出身学生のため特別予科を設置(1938年廃止)。 11月 - 原内閣成立を祝う「政党内閣祝賀大園遊会」を三田大講堂で開催。原敬首相、憲政会、立憲政友会関係者ら参加者5千人超。 1919年(大正8年)4月 - 四谷区西信濃町に医学科新校舎を開設。看護婦養成所も同地に移転。大学部は高等試験令第八号に関し、高等学校大学予科と同等以上と認定され、卒業生は高等文官予備試験を免除される。 8月 - 大学設立認可申請書を提出。
※この「慶應義塾大学部」の解説は、「慶應義塾大学」の解説の一部です。
「慶應義塾大学部」を含む「慶應義塾大学」の記事については、「慶應義塾大学」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から慶應義塾大学部を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 慶應義塾大学部のページへのリンク