慶應義塾医学所の創設
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明治3年(1870年)、慶應義塾の塾生前田政四郎のために、諭吉が英国式の医学所の開設を決定した。そして明治6年(1873年)、慶應義塾内に「慶應義塾医学所」を開設した。所長は慶應義塾出身の医師松山棟庵が就任した。また、杉田玄端を呼んで尊王舎を医学訓練の場所とした。なお、明治13年(1880年)6月、慶應義塾医学所は経営上の理由により閉鎖されることになった。 しかし、諭吉の死後15年たった大正5年(1916年)12月27日、慶應義塾大学部に医学科の創設が許可され、大正6年(1917年)3月、医学科予科1年生の募集を開始し、学長として北里柴三郎が就任することになった。
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