青木徹二とは? わかりやすく解説

青木徹二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/19 00:47 UTC 版)

青木徹二

青木 徹二(あおき てつじ、1874年明治7年)9月9日 - 1930年昭和5年)10月12日)は、明治期の検察官弁護士法学者

経歴

岐阜県生まれ。岐阜中学校を中退し、1891年(明治24年)慶應義塾に入学。1897年(明治30年)に慶應義塾大学部法律科を卒業後時事新報社に勤める[1]。翌年判検事試験に合格し、神戸区裁判所検事代理となるも1899年(明治32年)これを辞任し、再び時事新報社に入った[1]。その後、慶應義塾の大学部教員養成のためドイツに派遣され、ベルリン大学などで学ぶ[1]1902年(明治35年)7月帰国後、大学部法律科で商法を講じた[1]1910年(明治43年)法学博士となる。1920年(大正9年)、雑誌『東方時論』に「続世相審かし論」を投稿し、不敬罪の廃止を唱えたため、新聞紙法違反で禁固4ヶ月の判決を受ける。その後は法政大学中央大学に移り教鞭を取る。弁護士として長年務めた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 『慶應義塾百年史』 中巻(前)、319-321頁

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青木徹二」の関連用語

青木徹二のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青木徹二のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青木徹二 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS