廃止された営業所・車庫
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「東京都電車」の記事における「廃止された営業所・車庫」の解説
各営業所が担当した運転系統は、1962年(昭和37年)時点のものである。 三田電車営業所・三田電車車庫1903年(明治36年)1月街鉄の車庫として開設された、都電で最も歴史ある営業所・車庫である。廃止前は1、2、3、37系統の運行を担当していたが、第一次撤去でこれらの系統が廃止されたことで1967年(昭和42年)12月10日に廃止された。 跡地は港区立港勤労福祉会館、都営芝五丁目アパートとなっており、ほぼ直下には都営三田線三田駅がある。 目黒電車営業所・目黒電車車庫1927年(昭和2年)車両収容広尾分室として開設され、1937年(昭和12年)3月16日営業所に昇格した。廃止前は4、5系統の運行を担当していたが、第一次撤去でこれらの系統が廃止されたことで1967年(昭和42年)12月10日に廃止された。 跡地は隣接する目黒自動車営業所の用地に転用され営業所建物もそのまま使用されたが、後に品川自動車営業所目黒支所、さらに同営業所目黒分駐所への格下げを経て2005年(平成17年)3月27日に閉鎖された。跡地は東京建物を中心とした再開発事業が行われ、目黒セントラルスクエアとなっている。 広尾電車営業所・広尾電車車庫1914年(大正3年)9月28日開設。廃止前は7、8、33、34系統の運行を担当していたが、第一次撤去で7、8系統、第四次撤去で33、34系統が廃止されたことで1969年(昭和44年)10月26日に廃止された。 跡地は都営広尾五丁目アパートとなっている。 青山電車営業所・青山電車車庫1907年(明治40年)4月東鉄の車庫として開設された。廃止前は6、9、10系統の運行を担当していたが、第一次撤去で6系統、第三次撤去で9、10系統が廃止されたことで1968年(昭和43年)9月29日に廃止された。山城淀藩稲葉氏の下屋敷跡にあり、敷地面積は5万1000平方メートル以上 と都電の営業所・車庫の中では最も広く、敷地内には乗務員教習所があり訓練用の教習線も敷設されていた。 跡地は国連大学本部、東京都職員共済組合青山病院、こどもの城などとして利用されていたが、青山病院は2008年3月31日に、こどもの城も2015年(平成27年)3月に閉鎖された。青山病院跡地はTBSハウジング渋谷会場として暫定利用されている。 新宿電車営業所1903年(明治36年)12月街鉄の車庫として開設された、三田営業所に次いで歴史ある営業所である。廃止前は11、12系統の運行を担当していたが、1963年(昭和38年)12月1日に大久保電車営業所に統合されて廃止となった。戦前は伊勢丹新宿店の隣にあったが、太平洋戦争の戦災で新宿電車車庫が焼失したため大久保電車営業所敷地内に移転し、担当系統で使用する電車も大久保電車車庫に収容されることになった。 跡地は1951年(昭和26年)に三井不動産が取得した後伊勢丹と帝国銀行(現・三井住友銀行)に売却され、伊勢丹新宿店の増築用地および帝国銀行新宿支店(現・三井住友銀行新宿支店)となった。 大久保電車営業所・大久保電車車庫1926年(大正15年)に新宿車庫の分車庫として開設された。1939年(昭和14年)11月1日営業所に昇格し、1963年(昭和38年)12月1日には新宿電車営業所を統合した。廃止前は13系統と新宿電車営業所から引き継いだ11、12系統の運行を担当していたが、第二次撤去でこれらの系統が廃止されたことで1967年(昭和42年)12月10日に廃止された。 跡地は都営東大久保一丁目アパートとなっている。 杉並電車営業所・杉並電車車庫1921年(大正10年)8月26日西武軌道の車庫として開設され、1942年(昭和17年)2月1日に西武軌道線の経営を引き継いだ西武鉄道から東京市に経営委託された際に杉並電車営業所となった。廃止前には14系統の運行を担当していたが、営団荻窪線(現・東京メトロ丸ノ内線)が開業して利用者が減少したため、大規模撤去前の1963年(昭和38年)12月1日に14系統ともども廃止された。 跡地は1966年(昭和41年)11月30日に都営バス堀ノ内自動車営業所が移転して杉並自動車営業所(現在の小滝橋自動車営業所杉並支所)が開設された。 早稲田電車営業所・早稲田電車車庫1918年(大正7年)8月25日開設。廃止前は15、39系統の運行を担当していたが、第三次撤去で15系統、第五次撤去で39系統が廃止されたことで1968年(昭和43年)9月29日に廃止された。 跡地には都営住宅と都営バス営業所の併存建築を建設することになり、1971年(昭和46年)12月に都営早稲田アパートが竣工したのと同時に1階部分に渋谷自動車営業所戸山支所が移転し、都営バス早稲田自動車営業所が開設された。 大塚電車営業所・大塚電車車庫1912年(大正元年)8月1日開設。その後1925年(大正14年)に用地を市営バス大塚派出所に転用することになり、大塚駅前に移転した。また1967年(昭和42年)12月10日からは同日廃止された神明町電車営業所が大塚電車営業所の神明町分所となった。廃止前は16、17系統の運行を担当していたが、第四次撤去で17系統、第五次撤去で16系統が廃止されたため1971年(昭和46年)3月18日に廃止された。 跡地は都営南大塚二丁目アパートとなっている。 巣鴨電車営業所・巣鴨電車車庫1913年(大正2年)2月2日開設。廃止前は18、35、41系統の運行を担当していたが、都営地下鉄6号線(現・三田線)建設のため18系統および41系統は1966年(昭和41年)5月28日に廃止 残る35系統も第二次撤去で廃止となったため、営業所は1968年(昭和43年)2月25日に廃止された。 跡地は大塚自動車営業所巣鴨支所に転用され、現在は巣鴨自動車営業所となっている。 駒込電車営業所・駒込電車車庫1923年(大正12年)4月15日巣鴨電車車庫の分車庫として開設され、1937年(昭和12年)4月14日営業所に昇格した。廃止前は19系統のみの運行を担当していたが、19系統が第五次撤去で廃止されたため1971年(昭和46年)3月18日廃止された。 跡地は都営駒込二丁目アパート、豊島区立駒込図書館などになっている。 神明町電車営業所・神明町電車車庫1920年(大正9年)10月1日に大塚車庫の分車庫として開設された。廃止前は20、40系統の運行を担当していたが、第一次撤去で40系統が廃止されたことで大塚電車営業所神明町分所に格下げとなり、第五次撤去で20系統が廃止されたことで1971年(昭和46年)3月18日廃止された。 跡地は都営本駒込四丁目アパート、文京区勤労福祉会館、文京区立本駒込図書館などとなっており、敷地内にある神明都電車庫跡公園には6000形6063号及び乙1形乙2号の2両が保存展示されている。 三ノ輪電車営業所・三ノ輪電車車庫1913年(大正2年)6月1日開設。廃止前は21、31系統の運行を担当していたが、第四次撤去でこれらの系統が廃止されたことで1969年(昭和47年)10月26日廃止された。敷地は台東区と荒川区にまたがっており、車庫への出入庫線は区境上にある道路と立体交差していた。 跡地は台東区側は都営根岸五丁目アパート、台東区立根岸図書館、荒川区側は都営東日暮里一丁目アパートとなっている。 南千住電車営業所・南千住電車車庫1910年(明治43年)7月東鉄の車庫として開設された。その後1927年(昭和2年)に三ノ輪電車営業所の派出所、三ノ輪電車車庫の分車庫となり、1932年(昭和12年)4月14日に営業所に昇格した。廃止前は22系統の運行を担当していたが、第五次撤去で22系統が廃止されたことで1971年(昭和46年)3月18日廃止された。車庫敷地内には営業所の事務所棟を囲むようにループ線が敷設されており、車庫前にある南千住停留場に終着した電車はこのループ線を通って方向転換することなく折り返すことが可能な構造になっていた。 跡地は都営南千住二丁目アパートとなっているほか、1972年(昭和47年)7月に千住自動車営業所南千住分車庫が開設され、現在は南千住自動車営業所となっている。 柳島電車営業所・柳島電車車庫1905年(明治38年)5月街鉄の本所車庫として開設され、1930年(昭和5年)3月20日柳島に移転した。廃止前は23、24、30系統の運行を担当していたが、第四次撤去で30系統、第六次撤去で23、24系統が廃止とされたことで1972年11月12日廃止された。都電の営業所・車庫としては三田、新宿に次いで三番目に歴史ある営業所であり、錦糸堀営業所とともに大規模撤去の最末期まで存続した営業所の一つである。 跡地は江東自動車営業所の建替工事に伴う仮車庫として使用されたのち江東区立亀島小学校となったが、2002年(平成14年)に廃校となり2008年(平成20年)からは社会福祉法人カメリア会の運営する特別養護老人ホームカメリアおよび介護保険施設キーストーン、母子生活支援施設パークサイド亀島などとなっている。 錦糸堀電車営業所・錦糸堀電車車庫1923年(大正12年)8月30日本所電車車庫の分車庫として開設された。1945年(昭和20年)4月1日には戦災で焼失した城東電車営業所を統合したことで東荒川電車車庫にも車両が配備されることになり、さらに1957年(昭和32年)には新たに境川派出所を設置した。廃止前は25、28、29、36、38系統の運行を担当していたが、第三次撤去で25系統、第四次撤去で28系統、第五次撤去で36、38系統、第六次撤去で29系統が廃止されたことで1972年11月12日廃止された。柳島電車営業所とともに大規模撤去の最末期まで存続した営業所の一つである。 跡地は丸井錦糸町店となっている。 錦糸堀営業所境川派出所1957年(昭和32年)4月1日開設。明治通りと清洲橋通りが交差する境川交差点近くに位置し、錦糸堀営業所担当の系統のうち29、38系統の運行を分担していた。29、38系統は第六次撤去で廃止されたが、境川派出所は一足早く第五次撤去に合わせて1971年(昭和46年)3月18日に廃止された。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}跡地は葛西自動車営業所境川分車庫となったが2003年(平成15年)に閉鎖され、現在はスシロー南砂店となっている[要出典]。
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中央営業所(旧・本社) - 熊本市中央区新市街11-18熊本バス第一生命ビルを建てる前は、自社の「新市街」バスターミナルがあった。 貸切中央営業所・九品寺営業所 - 熊本市中央区九品寺6丁目整備工場も兼ねていた。跡地はマンションが建っている。 御船出張所 - 上益城郡御船町大字御船937番地22012年3月31日をもって老朽化により閉鎖。定期券発売は近くのクリーニング店および熊本バス自動車学校に移管した。 三間伏車庫 - 上益城郡御船町田代2007年4月「田代線」廃止と共に撤収。 払川車庫 - 下益城郡美里町払川社宅も兼ねていた。2009年4月「氷川ダム線・小市野線」廃止と共に撤収。 玉虫車庫 - 上益城郡御船町滝尾2015年10月閉鎖(「玉虫」バス停として存続)。 秋津車庫 - 熊本市秋津町秋田観光バス車庫として存在していた(「間島橋」バス停として存続)。
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