密教の登場とは? わかりやすく解説

密教の登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 12:57 UTC 版)

仏教美術」の記事における「密教の登場」の解説

6世紀ヒンドゥー教国教としたグプタ朝北インド統一と、ローマ帝国混乱端を発する東西交易退潮が起こる。これによって、インドの仏教庇護者檀家層の両者からの援護以前ほどは受けられなくなったまた、商業・交易衰退は、バラモン農村地帯基盤を置くヒンドゥー教影響力相対的に増加させることとなった劣勢に立たされた仏教教団は、打開策として既存ヒンドゥー教ベンガル地方勃興しつつあったタントラ、あるいはその他の民間信仰といった、他宗儀式習俗取り込んでいく。密教成立によって、インドにおける仏教美術曼荼羅動的な仏像生み出したインドにおける密教美術は、この地へのイスラーム勢力侵攻決定的となった13世紀初頭まで続いた密教体系化されていくにあたって儀礼採用護摩真言曼荼羅印契)が図られた。その中で密教美術呼べるものとして登場したものが、儀式用法具マンダラであった4世紀から6世紀頃までは、北方系と南方系、いずれの仏教においても、除災招福目的とした日常的な儀礼慣習としての呪術行われていた。しかし、これらの儀式はあくまで悟り追求とは目的を別としていた。ところが、6世紀から7世紀にかけて、これらの呪術目的現世利益的なものから正し悟り成仏解脱)へと焦点移されるまた、4世紀から5世紀頃、ガンダーラの僧、世親が『倶舎論』の一章、世間品のなかで須弥山宇宙について説いたことで、仏教において宇宙観について議論が行われるようになった。これらの要因背景として、瑜伽観法成立し、また宇宙充満する仏・菩薩明王諸天鬼神にいたるまでをパンテオンとして視覚的に表した曼荼羅登場したのである。なお、曼荼羅をはじめとした密教における「視覚芸術」は、布教美的感覚満足させるために制作されたわけではなく、色や形を通じて宇宙本質性を表すことを目的作られたことに留意しなければならない中国日本密教においてはこの関係性顧みられなくなったものの、その後のインド仏教チベット密教においては引き続き重視された。8世紀に入ると、インドにおいては大日経』系密教かわって金剛頂経』系の密教主流となり、したがって曼荼羅においても胎蔵界曼荼羅作例途絶え金剛界曼荼羅、さらにこれを踏まえた無上瑜伽密教系の曼荼羅制作されるようになったインドチベットで作られた、膨大なバリエーションを持つ無上瑜伽系の曼荼羅はいくつかの系統大別することができるが、芸術聖像学的な視点見た場合、以下のような特徴あげられるヤブユム男女合体像) 忿怒多面多臂像 ヒンドゥー神格 構成において方形ではなく円形多用、また三角形登場 仏教彫刻においても密教化は進んだ6世紀中頃造営始まったアウランガーバード石窟英語版)では、建築構造や女尊表現官能的な身体表現といったアジャンター以前には見られなかった特徴確認でき、ヒンドゥー美術影響大きさ密教美術萌芽を見ることができる。これは、彫刻史においても変化意味した動的な所作豊かな肢体表現されるようになったのは、古典的内省均整特徴的なグプタ朝美術からバロック的な中世インド美術への移行であった11世紀末から始まったセーナ朝時代は、インド亜大陸において仏教美術盛んに制作され最後時代であった1203年ゴール朝軍勢によってヴィクラマシーラ大学破壊されると、同地における仏教中心地失った僧侶たちは他国へと移住亡命しインドにおける仏教美術終焉迎えた。 諸難救済観音菩薩 マハーラーシュトラ州アウランガーバード石窟第7窟 玄武岩 6世紀後半 密教の女尊群 アウランガーバード石窟 釈迦パーラ帝国10世紀から11世紀ビハール州 メトロポリタン美術館 聖観音9世紀 青銅 バングラデシュ出土 メリーランド州ウォルターズ美術館 説法釈迦ナーランダ僧院出土 ビハール州パトナ博物館英語版 多羅菩薩ナーランダ僧院出土 ビハール州パトナ博物館英語版 パハルプールの仏教寺院遺跡群塑像 粘土 9世紀 パーラ朝 バングラデシュ 11世紀に始まるイスラーム王朝インド侵入以降北インド密教含む仏教大きく衰退するが、密教とそれに付随する密教美術カンボジア大スンダ列島チベットといった、インド周辺地域隆盛した。特にチベット仏教とその美術は、モンゴル系民族中国へと数世紀渡って多大な影響を残すこととなる。 釈迦入滅後仏教インド亜大陸内外にひろまるにつれ、本来的な一連の仏教美術が他の芸術要素混ざり合い仏教受容国のあいだで仏教美術発展的差異生じていった。 北伝仏教:主に大乗仏教顕教密教)が普及中央アジアネパールチベットブータンスマトラ島ジャワ島中国韓国日本ベトナムなど。 南伝仏教:主に上座部仏教普及南インドからミャンマースリランカタイカンボジア、およびラオス

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