密教の登場
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6世紀、ヒンドゥー教を国教としたグプタ朝 の北インド統一と、ローマ帝国の混乱に端を発する東西交易の退潮が起こる。これによって、インドの仏教は庇護者・檀家層の両者からの援護を以前ほどは受けられなくなった。また、商業・交易の衰退は、バラモンと農村地帯に基盤を置くヒンドゥー教の影響力を相対的に増加させることとなった。劣勢に立たされた仏教教団は、打開策として既存のヒンドゥー教やベンガル地方で勃興しつつあったタントラ、あるいはその他の民間信仰といった、他宗の儀式や習俗を取り込んでいく。密教の成立によって、インドにおける仏教美術は曼荼羅や動的な仏像を生み出した。インドにおける密教美術は、この地へのイスラーム勢力の侵攻が決定的となった13世紀初頭まで続いた。 密教が体系化されていくにあたって、儀礼の採用(護摩、真言や曼荼羅、印契)が図られた。その中で、密教美術と呼べるものとして登場したものが、儀式用の法具やマンダラであった。4世紀から6世紀頃までは、北方系と南方系、いずれの仏教においても、除災招福を目的とした日常的な儀礼・慣習としての呪術は行われていた。しかし、これらの儀式はあくまで悟りの追求とは目的を別としていた。ところが、6世紀から7世紀にかけて、これらの呪術の目的は現世利益的なものから正しい悟り・成仏(解脱)へと焦点が移される。また、4世紀から5世紀頃、ガンダーラの僧、世親が『倶舎論』の一章、世間品のなかで須弥山と宇宙について説いたことで、仏教においても宇宙観について議論が行われるようになった。これらの要因を背景として、瑜伽観法が成立し、また宇宙に充満する仏・菩薩・明王・諸天・鬼神にいたるまでをパンテオンとして視覚的に表した曼荼羅が登場したのである。なお、曼荼羅をはじめとした密教における「視覚芸術」は、布教や美的感覚を満足させるために制作されたわけではなく、色や形を通じて宇宙の本質性を表すことを目的に作られたことに留意しなければならない。中国や日本の密教においてはこの関係性は顧みられなくなったものの、その後のインド仏教やチベット密教においては引き続き重視された。8世紀に入ると、インドにおいては『大日経』系密教にかわって『金剛頂経』系の密教が主流となり、したがって、曼荼羅においても胎蔵界曼荼羅の作例は途絶え、金剛界曼荼羅、さらにこれを踏まえた無上瑜伽密教系の曼荼羅が制作されるようになった。インドやチベットで作られた、膨大なバリエーションを持つ無上瑜伽系の曼荼羅はいくつかの系統に大別することができるが、芸術・聖像学的な視点で見た場合、以下のような特徴をあげられる: ヤブユム(男女合体像) 忿怒形 多面多臂像 ヒンドゥーの神格 構成において方形ではなく円形の多用、また三角形の登場 仏教彫刻においても密教化は進んだ。6世紀中頃に造営が始まったアウランガーバード石窟(英語版)では、建築構造や女尊表現、官能的な身体表現といったアジャンター以前には見られなかった特徴が確認でき、ヒンドゥー美術の影響の大きさと密教美術の萌芽を見ることができる。これは、彫刻史においても変化を意味した。動的な所作や豊かな肢体が表現されるようになったのは、古典的で内省・均整が特徴的なグプタ朝美術からバロック的な中世インド美術への移行であった。 11世紀末から始まったセーナ朝の時代は、インド亜大陸において仏教美術が盛んに制作された最後の時代であった。1203年にゴール朝の軍勢によってヴィクラマシーラ大学が破壊されると、同地における仏教の中心地を失った僧侶たちは他国へと移住・亡命し、インドにおける仏教美術は終焉を迎えた。 諸難救済の観音菩薩 マハーラーシュトラ州アウランガーバード石窟第7窟 玄武岩 6世紀後半 密教の女尊群 アウランガーバード石窟 銅冠釈迦像 パーラ帝国(10世紀から11世紀) ビハール州 メトロポリタン美術館蔵 聖観音像 9世紀 青銅 バングラデシュ出土 メリーランド州ウォルターズ美術館蔵 説法釈迦像 ナーランダ僧院出土 ビハール州パトナ博物館(英語版)蔵 多羅菩薩像 ナーランダ僧院出土 ビハール州パトナ博物館(英語版)蔵 パハルプールの仏教寺院遺跡群の塑像 粘土 9世紀 パーラ朝 バングラデシュ 11世紀に始まるイスラーム王朝のインド侵入以降、北インドの密教含む仏教は大きく衰退するが、密教とそれに付随する密教美術はカンボジアや大スンダ列島、チベットといった、インドの周辺地域で隆盛した。特にチベット仏教とその美術は、モンゴル系民族や中国へと数世紀に渡って多大な影響を残すこととなる。 釈迦入滅後、仏教がインド亜大陸内外にひろまるにつれ、本来的な一連の仏教美術が他の芸術の要素と混ざり合い、仏教受容国のあいだで仏教美術の発展的差異が生じていった。 北伝仏教:主に大乗仏教(顕教と密教)が普及。 中央アジア、ネパール、チベット、ブータン、スマトラ島、ジャワ島、中国、韓国、日本、ベトナムなど。 南伝仏教:主に上座部仏教が普及。南インドからミャンマー、スリランカ、タイ、カンボジア、およびラオス。
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