実行や解決に狙撃が用いられた事件
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「狙撃手」の記事における「実行や解決に狙撃が用いられた事件」の解説
関連参考項目:暗殺事件の一覧 永禄9年2月5日(1566年2月24日) - 戦国大名三村家親が美作国久米郡興善寺の陣中にて、宇喜多直家の命を受けた遠藤秀清、俊通兄弟により暗殺される。使用された武器は火縄銃(短筒)であり、史実に残る日本で最初の要人狙撃と言われている。 元亀元年5月19日(1570年6月22日) - 戦国大名織田信長が京都から岐阜城への帰途、伊勢との国境に近い近江の千草越で狙撃される。狙撃手は六角義賢の依頼を受けたと言われる杉谷善住坊。20数メートルの距離から二連発火縄銃で撃った弾は、信長の体をかすめるに留まった。善住坊は甲賀忍者であったとも言われるが詳細は不明。また、信長は天正9年(1581年)にも伊賀の城戸弥左衛門(もしくは伊賀崎道順)に狙撃されたが、こちらも失敗に終わっている。 1718年11月30日 - スウェーデン王カール12世、ノルウェーで狙撃される(大北方戦争)。味方から狙撃されたと言う説が根強く、遺体を掘り起こし調査が行われた。この結果、前方20m程からの銃撃と推測はされたが、敵による銃撃か暗殺かは断定されていない。 1805年10月21日 - ナポレオン戦争でのトラファルガー海戦に勝利した英艦隊提督ホレーショ・ネルソンが、フランス艦に配置された狙撃兵より銃撃され、戦死。 1867年12月8日 - 新選組局長近藤勇が京都で御陵衛士の残党に狙撃され、負傷。 1948年4月9日 - コロンビアの首都ボゴタで自由党党首で次期大統領候補だったホルヘ・エリエセル・ガイタンがフィデル・カストロとの会談に向かう途中、フアン・ロア・シエラにより狙撃され死亡。ボゴタ暴動の契機となる。 1963年11月22日 - 第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディが遊説先のテキサス州ダラスにて狙撃され、死亡(ケネディ大統領暗殺事件)。 1966年7月31日 - テキサスタワー乱射事件。アメリカ、テキサス大学時計台で、元海兵隊員チャールズ・ホイットマンが96分間に14名を射殺。負傷者30名を出し、SWATが作られるきっかけとなった。『パニック・イン・テキサスタワー』というタイトルで映画化されている。 1970年5月12日 - 瀬戸内シージャック事件。ライフル銃で武装した犯人を警察による狙撃で射殺。戦後初の犯人狙撃・射殺事例となった。 1972年2月19日 - あさま山荘事件。連合赤軍が長野県の山荘に10日間立てこもる。犯人の銃撃により多数の負傷者が発生し、警察官2名と民間人1名が死亡。警察側は瀬戸内シージャック事件で狙撃を実行した警察官が殺人罪で告発されたことや、犯人射殺により犯人が殉教者として英雄視されることなどを懸念し、銃器の使用は威嚇射撃に留まった。 1972年9月5日 - ミュンヘンオリンピック事件。ミュンヘンオリンピックのイスラエル選手村にパレスチナ過激派(パレスチナ解放機構のグループ「黒い九月」)が侵入して選手を殺害。西ドイツ当局が狙撃に失敗し、人質全員が殺害される。この事件をきっかけに対テロ部隊として第9国境警備群(GSG-9)が設置された。2005年、スティーヴン・スピルバーグ監督により、後日譚をテーマにした映画:『ミュンヘン』が制作された。 1977年10月15日 - 長崎バスジャック事件。長崎県平戸市から長崎市に向かっていた西肥バスが手製銃と爆発物で武装した「阿蘇連合赤軍」を名乗る2人組に乗っ取られた事件。犯人グループは政治家との面会などを要求。18時間経過した翌朝午前4時過ぎ、長崎県警は強行突入を決定。捜査員3名が拳銃7発を発射し、主犯を射殺、共犯を逮捕し解決した。本事件の17日前に発生したダッカ日航機ハイジャック事件で日本政府が超法規的措置により犯人側の要求に応じ、「テロに屈した」として国内外の非難を浴びていたことから警察が強硬策を選択したとみられる。国内での人質事件では瀬戸内シージャック事件に続いて2例目の犯人射殺となった。 1979年1月26日 - 三菱銀行人質事件。大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に二連式散弾銃を所持した武装強盗が押し入り、銀行員2人を射殺。直後、行内に突入した大阪府警警察官2人も射殺。そのまま行内に立てこもる。42時間後、大阪府警機動隊特別編成隊第一第二機動隊より射撃上級者6人選抜が、犯人の周囲から人質が離れた隙にニューナンブM60にて計8発発射(ちなみにニューナンブは5連発回転式)。うち3発が命中し逮捕されたが、被疑者は当日夕刻死亡した。国内で3例目の犯人射殺により解決した人質事件であり、本事件以降は2019年現在まで存在しない。 1981年3月30日、ワシントンD.C.で、第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンがジョン・ヒンクリーによって狙撃され負傷。(レーガン大統領暗殺未遂事件) 1995年3月30日 - 警察庁の國松孝次長官が自宅マンション前で何者かに狙撃され負傷(警察庁長官狙撃事件)。用いられたのは拳銃であり、20メートルの距離から4発中3発を命中させている。オウム真理教信者と、別の強盗殺人未遂犯に疑惑が向けられたが、最終的に断定はされず、時効を迎えた。 2002年10月2日 - メリーランド州モントゴメリーやヴァージニア州で元アメリカ陸軍軍人と養子による連続狙撃事件(ワシントンD.C.エリア連続狙撃事件)。10月22日までに狙撃向けにトランクを改造した車から13件の狙撃を行い、死傷者は10名以上。24日に逮捕され、09年11月11日、元軍人に死刑執行。 2009年4月12日 - ソマリア沖を航行中の「マースク・アラバマ」号が海賊に襲撃され、船長を人質に救命艇で逃走を図る海賊3名を対テロ特殊部隊が同時に狙撃して殺害、船長を救出する(マースク・アラバマ号乗っ取り事件)。 2010年5月13日 - タイ王国の首都バンコクにてタクシン派のカティヤ少将が演説中に狙撃されて死亡。 2017年6月10日 - タイのワチラロンコン国王が滞在先のドイツでBB弾で「狙撃」された、という事件が発生した。
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