実行するにあたっての問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 19:25 UTC 版)
「ドニエプル川の戦い」の記事における「実行するにあたっての問題」の解説
ドニエプル川はヨーロッパにおいてヴォルガ川、ドナウ川についで3番目に大きな川であった。その下流では川幅が3kmに達しており、さらにそれがいくつかの場所でせき止められており、より川幅が拡大している箇所も存在していた。さらに渡河する岸辺(お互いに奪取を繰り返していた)は左岸より高く急傾斜であり、さらなる攻撃を難しくしていた。その上、対岸はドイツ軍が巨大な防衛施設を築いており、ドイツ軍は一歩も引く気がなかった。 このような状況を前にして、ソビエト赤軍の司令官には2つの作戦を選択することができた。第一の方法は、再編成を行い弱点もしくは突破しうる点(必ずしもドニエプル川下流ではない)を見つけて進撃を行い、ドイツ軍装甲部隊が1940年にマジノ線を迂回して攻撃したかのようにドイツ軍を取り囲み、防衛線を無力化した後、次の防衛線へ進むことであった。しかし、これはドイツ軍に多くの予備戦力を用意させる時間を与えることになり、1941年以降のソビエト赤軍司令官が避けたがっていた、部隊の側面部を敵の機械化された部隊の攻撃にさらさせることになる可能性があった。 第二の方法は、待機することなく、ドニエプル戦線の広い幅で大規模攻撃を行うことであった。この方法であれば、ドイツ防衛部隊に時間を与えることなく大規模な損害を与えることに繋がるとされた。結局、スターリンが11月7日までにキエフを取り戻したいという政治的理由により、2つ目の作戦が選ばれた。 攻撃は300Kmに及ぶ戦線においてほぼ同時に開始された。輸送に利用できる手段として攻撃部隊が対岸へ渡るために小船はおろか、即席に多くの樽や木が利用された。この際重大な問題として大型装備の輸送があり、それが出来なければ橋頭堡は長く維持することができなかった。
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