トラファルガー海戦とは? わかりやすく解説

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トラファルガーの海戦

(トラファルガー海戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/03 16:08 UTC 版)

トラファルガーの海戦(トラファルガーのかいせん、: Battle of Trafalgar: Bataille de Trafalgar)は、1805年10月21日に、ホレーショ・ネルソン提督指揮のイギリス海軍が、ナポレオンの派遣したフランススペイン連合艦隊を、スペインのトラファルガー岬沖合で破った海戦。ナポレオン戦争における最大の海戦で、イギリスはこの海戦の勝利によってナポレオンの英本土上陸の野望を粉砕した。




「トラファルガーの海戦」の続きの解説一覧

トラファルガー海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 16:24 UTC 版)

ピエール・ヴィルヌーヴ」の記事における「トラファルガー海戦」の解説

1805年3月29日ヴィルヌーヴ戦列艦11隻を率いてトゥーロン出航した西インド諸島到着した彼は1カ月わたって待ち続けたが、ガンテューム提督率いブレスト艦隊現れなかった。6月11日ヴィルヌーヴ艦隊合流させられないままヨーロッパ向かった7月22日ヴィルヌーヴ艦隊スペイン北西部フィニステレ岬到達しカルダー提督率いイギリス艦隊交戦してスペイン艦2隻を拿捕された(フィニステレ岬の海戦)。数の上ではフランス艦隊優勢だったが、ヴィルヌーヴ攻撃転じようとはせず、8月1日ア・コルーニャ到着した計画のとおりブレストブローニュ向かえというナポレオン指令を彼はそこで受け取ったが、おそらくは優勢なイギリス艦隊ビスケー湾にいるという誤報信じたため、スペイン艦隊司令たちの反対押し切ってカディス戻った。この行動により、ナポレオン計画していたイギリス侵攻作戦は完全に頓挫してしまった。 1805年9月オーストリアとの戦い支援するためにフランス・スペイン連合艦隊ナポリ攻撃せよという指令ナポレオンから下された。しかしヴィルヌーヴはなかなか行動しようとせず、ナポレオン命令無視し続けていた。10月中旬ナポレオンが彼をフランソワ・エチエンヌ・ド・ロジイ=メスロ(fr:François Étienne de Rosily-Mesros)と交代させ、パリ召還しようとしていることがヴィルヌーヴの知るところとなった(「ヴィルヌーヴ意志薄弱で艦を率いることができない決断力なければ精神的勇気乏しい」とナポレオン海軍大臣宛の書面述べている)。10月18日新しい司長官赴任する前にヴィルヌーヴ出撃命令出した1805年10月21日カディス沖合待ちかまえていたネルソン提督イギリス艦隊フランス・スペイン連合艦隊交戦入ったトラファルガーの海戦)。ネルソン戦死したものの、戦いイギリス艦隊勝利終わった連合艦隊旗艦「ビューサントル」は拿捕され、ヴィルヌーヴ捕虜となった

※この「トラファルガー海戦」の解説は、「ピエール・ヴィルヌーヴ」の解説の一部です。
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トラファルガー海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 16:02 UTC 版)

ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)」の記事における「トラファルガー海戦」の解説

詳細は「トラファルガーの海戦」を参照 1805年フランス・スペイン連合艦隊トラファルガー岬沖に捕捉、二列の縦陣敵艦隊に接近戦挑むいわゆる「ネルソン・タッチ」で勝利をおさめる。この戦いでフランス艦隊27隻を撃滅させた。イギリス艦隊主力戦列艦27に対してフランス・スペイン連合艦隊33であり、敵側はおよそ2割程度大き軍船であった。その他フリゲートなども含めると英国33対仏西連合41であり、兵力二乗法則集中させた兵力は、掛け算的に戦力を増す)との経験則から、実質的におよそ2倍以上の敵と戦う情勢であった戦闘先立ち兵士たち鼓舞した信号旗掲揚England expects that every man will do his duty”(英国は各員がその義務を尽くすことを期待する)は、現在も名文句として残る。ネルソン自身は“Nelson convinced that every man will do his duty”(ネルソン各員がその義務全うすることを確信する)としたかったのだが、続けて接近戦行え」の指示を送らなくてはならなかったので、信号士官進言を受け、より少ない旗ですばやく信号をおくれる「英国は〜期待する」の方を採用したのだった。英語のDutyには、義務とあるが、これは、日本語義務翻訳としては、二種類あり、「自主的に行う、進んで行動する義務」と「命令あるいは強制的に行われる義務」の二種類の内、自主的に行う“義務”を指すために適切な訳語がなく「責務」と翻訳される事もある。 後世にまで伝わる名文句となった信号文確認した各艦では、歓声上がったという)が、実際のところは、命令的尊大な文章であるため、この時は強制徴募されて苦労する水兵からは「いまさら言われなくても義務果たしている」と不満の声があがったまた、戦闘指揮に関係のない信号無視されたり、水兵士気悪影響与えると思われたりして、艦内内容伝達しなかった艦長もいた(ネルソン死後伝達しなかった事を悔やむ記録残されている)。次席指揮官カスバート・コリングウッドですら、戦闘開始寸前に、戦闘指揮とは関係無い信号伝達に不満を感じたと書き残している。しかし、ネルソン死によって伝説となったため、近年帆船時代扱ったフィクションおよび実例での戦闘日本では皇國興廢此ノ一戰ニ在リ、各員一層奮勵努力セヨ掲げたZ旗など)では、戦闘になる前に指揮官水兵鼓舞する信号掲げることは定番となっている。 後にネルソンタッチと呼ばれる事になる、彼の戦術は、敵味方艦隊同士が、戦列Line)を形成して平行に並んで撃ち合うという、当時海戦常識破り艦隊一直線敵中腹に飛び込み敵艦隊を分断した後に分断し艦隊集中砲火浴びせ分断した敵の1/2を殲滅するものであった。この作戦難点分断する為に先頭に立つ艦が集中砲火浴び危険である事で、ネルソン自身、その役を自ら買って出る分断時は、旗艦ヴィクトリー号その先頭に立って突撃をし、ネルソン自身何度も部下から身を隠す進言を受けながら、後甲板上の全兵から見え位置砲撃射撃されやすい位置)に立ち続け決し部下を盾にして身の安全を図るような事は無く指揮官自らが率先してリスクを負う姿を示し続けた海戦参加者証言によると、ヴィクトリー号甲板上が砲撃銃撃によって阿鼻叫喚の場と化している中で、ネルソン敵弾近く掠めても気にする素振り見せず優雅にたたずみ、あるいは優美に歩き回っていたとされる一方でその様子を見た連合艦隊ヴィルヌーヴ提督ネルソン意図察しており、接近戦備えて各艦に狙撃手配置していた。特にルドゥタブルリュカ艦長など、一部艦長砲撃よりも小銃射撃切込みによる乗組員殺傷主眼としており、ネルソン自身はその戦勝引き換えに、戦闘中接舷したルドゥタブルからの銃弾を受け、戦死する。 なお、当時海戦において、砲撃敵艦沈めるのは困難であり、最終的に接近戦移乗攻撃決着をつけるのは定石である。ただし、まず砲撃戦敵艦戦闘能力削いだ上で接舷するのが普通であった接舷された側も反撃手段残っていないため、白兵戦移行する前に降伏するケース多かったネルソン戦法の特徴は、接近戦早々に行った事(ゆえにフランス軍もそれに備えた準備行っていた)である。 旗艦ヴィクトリー上で指揮執るネルソン4つ勲章正確にはそれを模した布製レプリカ)を胸にしており、狙撃恐れた副官らからコート羽織るように進言されても、「立派な行いでこれをもらったのだ、死ぬ時もこれをつけていたい」と退けた。ただし、当時マスケット銃命中精度では、ネルソン個人或いは高級将校個人)を狙い撃ちするのは困難であったネルソン以外の高級将校も目立つ格好をしていたが、銃弾受けてはいない。 ヴィクトリーからの斬り込み突撃備えヴィクトリー艦上射撃していたルドゥタブル海兵隊射線ネルソン偶然に入ってしまったものと考えられている。 射撃受けて勝利の報告を受けながら死に行くネルソンは、ハーディ艦長に“私を祝福してほしい(私のほほにキスしてほしい)、私は義務果たした”と喜び、神への感謝、あるいは感謝(恐らくは、全将兵)への言葉述べながら死んでいった事が報告されている。 イギリス側死者449に対してフランス・スペイン連合艦隊死者 4,480人とおよそ10倍。イギリス艦隊失った艦はゼロであったに対してフランス・スペイン連合艦隊大破拿捕22隻を数え海軍史まれにみる大勝利であった。この戦果により、ブーローニュの港に集結していたフランス軍イギリス上陸部隊精鋭15万・全将兵35)は身動き封じられフランスによる英国本土占領作戦実行不可となった。なお当時陸上戦闘に関してネルソン政策提言無視して軍縮行った(但し、皮肉にも海軍へ信頼背景にあった)後でもあり、フランス側圧倒的に優れていたため、イギリス側としては引き分けや普通の勝利許されずに、海戦圧勝して制海権握りフランス軍の上陸を阻止する必要があった。この事からイギリス亡国危機ネルソン救った見なされる

※この「トラファルガー海戦」の解説は、「ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)」の解説の一部です。
「トラファルガー海戦」を含む「ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)」の記事については、「ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)」の概要を参照ください。

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