報道の過熱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 22:21 UTC 版)
カモを取り巻く報道陣や見物客は連日、百人以上に昇った。カモは人々を警戒して岸に近づかなくなり、騒ぎから逃れようとするカモをさらに報道陣が追いかけ、台東区や動物園による保護の妨げとなった。前述の小宮輝之によれば、「カモが不忍池に飛来した際に職員が現地へ向かったものの、報道陣のマイクやカメラに取り囲まれて、保護どころではなかった」という。 フジテレビジョンは2月1日から連日、ニュース番組やワイドショーで報道を続けた末、9日からは取材チームを現場に交代で派遣し、10日には中継車を送り込んだ。板橋区による最大規模の保護作戦が展開されたこの10日には、駆けつけた報道陣は約40人とも50人ともいわれ、報道陣が車道にまではみ出して周囲に迷惑をおよぼす姿も見られた。翌2月11日には、区役所員たちが保護の仕掛けを構えた石神井川にカモが姿を見せたことで、その騒動は頂点に達した。 報道陣が大挙して押しかける予想外の過熱ぶりに、東京都などは「カモの保護作戦に支障をきたす」と、9日から報道陣に取材の自粛を要請。カモを落ち着かせるため、不忍池の前の通路(動物園の入園客の通路)を同9日からは通行止めにした。 カモが人間の挙動に非常に敏感と見られたことから、同9日、保護作戦中は報道陣を含めた一般人の立ち入り制限を実施することも決められた。報道各社には「ヘリコプターなどによる上空からの取材」「フラッシュの使用禁止」などの詳細な「保護作戦中の立ち入り自粛要請」が「カモ救出検討会」からファクシミリで送付された。 2月9日に石神井川で保護作戦が展開された際は、検討会のメンバーが川沿いの遊歩道の入口をロープで閉鎖。取材に当たった報道陣約20人と一般人に「作戦中の立ち入り禁止」を呼び掛け、通行規制を行った。 翌10日、都鳥獣保護係と板橋・北両区環境保全課の連名により、取材自粛要請の内容として会話や自動車などの騒音防止、照明の使用禁止、現場の立ち入り規制などが定められた。同日の石神井川での保護作戦に際しては、「カモが警戒するのでフラッシュなどを使わないように」と都が立ち入り規制した。前述のように連日の報道を続けたフジテレビジョンも、都側の要請を受け、撮影には望遠レンズや暗視カメラを使ったり、ヘリコプターを使わないなどの配慮をした。 過熱する報道に妨げられて保護失敗が繰り返されたことを踏まえ、上野動物園側は矢ガモを緊張させないことが最も大事と判断。事前に作戦実行を発表すると注目されてしまうため、2月11日に「今週はもう捕まえません」と発表した後、翌2月12日、人通りの少ない午前中に作戦を実施した。結果的にこの戦略が功を奏し、同日の保護に成功に繋がった。報道陣を避けるため、前もって捕獲は園内の池に入ったときのみにすると決めておき、カモが園外の池にいるときは、動物園の制服ではない私服姿で、捕獲用の網も持たずに偵察するといった工夫もあった。当時の飼育課長である中山恒輔は、カモの救助の機会を逃さないため、「作戦は公表できない」と、自ら報道陣に対する盾となっていた。 当時の新聞社やテレビ局の記者たちは、矢ガモの取材にはジレンマを感じており「矢を刺されたカモの姿はショックが大きく、最初に報道する意味は大きかったが、それがエスカレートしてしまった。とはいえ、ここで取材をやめて結末をフォローしないのは、報道としてしり切れトンボになってしまう」「たった一羽のカモを大勢で追い回すことに、どんな意味があるのか、もっとほかに追うべき相手があるんじゃないか、と思うことがある」「一つの局から三つ、四つも取材の班が出るというのは確かに騒ぎすぎだと思う」などと語っていた。保護にあたっていた区職員の1人は、報道が大きくなったために作戦も大きくなってしまったと語った。 こうした記者たちを送り出す側として、各新聞社の上層部は以下のように語っている。 これはカモの1件だけではない。貴・りえでも長嶋監督父子のことでも、テレビとスポーツ紙が追っかけ合いを繰り返しているので仕方がない、と痛感する。「テレビに出ているのに、おたくの紙面には載っていない」と言われますとね。部員を現場へ出すときは、乱暴な割り込みや他人への迷惑になることをするな、と声をかけるけれど、それではいい写真が撮れないことも現実です。上司にしかられてもいいから「現場へ行くな」と一度いってみたい。各社一斉に取材をやめればいいのでしょうが、報道自粛は談合だと批判されかねないし。 — 須田久夫(報知新聞社東京本社 写真部長)、「矢ガモ番記者、きょうも行く」、朝日新聞 1993, p. 29より引用 皇居のカルガモの時もそうだったが、われわれが一度報道すると、社会が関心を持ち、時には過熱気味の反応を示すことがある。すると、また取材・報道をし、さらに社会は過熱する。で、自粛要請などを受ける。社会の関心事である以上、ルールに従いながらも、取材を続けなければならない。ジレンマを感じる。 — 福永友保(朝日新聞社 写真部次長)、「矢ガモ番記者、きょうも行く」、朝日新聞 1993, p. 29より引用 一方で各界の識者は、この報道の過熱ぶりについて以下のように語っている。 今回の「矢ガモ報道」はややいき過ぎだと思う。一社が何か報道すると、すぐすべてのメディアがワーッと一斉に報道するという日本のジャーナリズムの悪い特性が出てしまっている。報道の際の視点も、各社に違いはない。しかし、だからといって都庁が報道の自粛を要請するのも、妙な話だ。オーバーな言い方かもしれないが、権力側からすぐに報道規制という考え方が出てくること自体、危険なことだ。認めるべきではないと思う。 — 新井直之、「矢ガモ番記者、きょうも行く」、朝日新聞 1993, p. 29より引用 矢ガモ報道の多さに驚くのではなくて、ワイドショーが毎日埋めなくてはいけない時間があまりに多かったことに、改めて驚いた。似たような媒体が多すぎるから必要以上に流してしまう。アメリカならばニュースの最初に2、3分やるだろうが、日本のような“何でもあり”のワイドショーはないから、これほどの騒ぎにはならないだろう。 — デーブ・スペクター、「石神井川の矢ガモ 発見から21日ぶりに無事保護」、日刊スポーツ 1993, p. 21より引用 たかだか野鳥の背中に矢がつきささっていたというだのことである。これを競って報道して、どうしようというのだろう。(略)平和ぼけとしか言いようがない。 — 福士隆三(青森地域社会研究所 参与)「“矢ガモ”騒動を嗤う」、福士 1993, p. 56より引用 このほかに、「人間の多い都会へやって来る野生動物は、人間のいたずらに晒されることはむしろ自然であり、これに動物愛護、自然愛護、愛、感動を語って報道することは嫌らしい」との意見もある。 日本国外では、アメリカのCNNやAP通信で報じられた。AP通信はいち早く2月3日、矢の刺さったカモの写真と「何でこんなことに」の見出しとともに打電し、その後も救出劇の経過を世界に打電し続けた。イギリスのロイターではカモの保護成功後に、日本の過熱ぶりを皮肉り「日本の最新のメロドラマはハッピーエンドを迎えた」と報じた。また本件を取材していた英字新聞の記者の1人は、カモ自体の取材に加え、「必死に取材している日本人記者たちの姿が面白い」とも語っていた。 騒動から約20年後、当時のフジテレビジョンのアナウンサーであった八木亜希子は、「残酷な事件でしたが、よってたかって報道するほどのことなのか、と、報道する側の人間として疑問に思いました」と語っている。
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