リタリン騒動
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2007年(平成19年)9月18日、リタリンを服用し続けていた25歳男性が、薬物依存症になった末、2005年(平成17年)に飛び降り自殺する事件が起きたことが報道された。当該男性は、愛知県名古屋市の男性医師によって、リタリンを処方されたことが毎日新聞の報道で明らかになり、リタリンに関する問題が日本において広く知られるようになり、以降、テレビや新聞によるリタリン使用に関する報道が過熱していった。 一方、毎日新聞を始めとした、新聞・テレビのリタリン報道の姿勢に対する反発の声も出た。 2007年(平成19年)9月21日、東京都新宿区の東京クリニック(現在は廃院)が、患者にリタリンを大量処方していたとして、東京都と保健所が同病院に立ち入り検査を行った。院長にはその後、医業停止処分が下った。 翌日、9月22日には京成江戸川クリニック(現在は廃院)が、医師の不在中に職員がリタリンの処方箋を出したとして、医療法違反の疑いで同じく都と保健所から立ち入り検査を受けた。 2007年10月31日、京成江戸川クリニックの院長と看護師が、医師法違反(無資格医業)で警視庁に逮捕された。 同日、10月31日、リタリン製造販売元のノバルティスファーマは、リタリンの難治性・遷延性うつ病への適応の削除と流通管理強化を厚生労働省に申請、同日、厚生労働省により承認された。これによりリタリンの適応はナルコレプシーのみとなり、以後、2013年12月20日にメチルフェニデート徐放剤であるコンサータが18歳以上のADHD患者向けにも認可されるまでの約6年間、18歳以上のADHD患者らがメチルフェニデートを処方されることが事実上不可能となった。 事件発生までは、医師の裁量でADHD患者には難治性うつとして、リタリンが処方されていたが不可能になり、更にナルコレプシーの診断には、厳格な検査を要するため。また18際未満には同年からコンサータが適応となったが、18歳以上への適応は前述対象外だった。また難治性うつ病患者へのメチルフェニデート製剤の処方は2020年今なお認められてない。 厚生労働省医薬食品局審査管理課と同省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課は、2007年(平成19年)10月26日の都道府県あて通知の中に「リタリンを服用しているうつ病患者が、今後のことを案じて自殺未遂を図った情報がある」と記している。 2008年(平成20年)1月以降処方できる医師を専門医のみとする登録制での販売に切り替えた。同年、厚生労働省は処方医師ならびに処方を受ける調剤薬局双方に登録が必要にする通達を出し、処方医師だけでなく、調剤薬局および薬剤師である調剤責任者も登録がなされていなければ、たとえ調剤薬局であっても処方箋を受け付けることができないとした。また調剤薬局間の融通も不可とされている(調剤薬局と調剤責任者との連名による登録であるため)。なおこの規制は徐放剤であるコンサータにおいても同じである。 以上の一部クリニックによる異常な処方やADHD治療を目的としない一部のものによる乱用とそれらに対する報道の過熱から病院への立ち入り、関係者の処分や逮捕、ノバルティスファーマの削除申請と厚労省の受理、それにより18歳以上のADHDが治療薬の手段を失ったことなど、一連の出来事は「リタリン騒動」または「リタリン事件」と呼ばれる。 2007年12月19日、ヤンセンファーマより、メチルフェニデートの徐放剤であるコンサータが18歳未満のADHDに向け発売された。前述のとおり、本薬品も登録制での処方・販売である。 2008年には、東京の新宿歌舞伎町のクリニックで2007年に患者に対してリタリンを大量に処方したとして、医師に医師法違反で罰金50万円が命じらた。なお、この医師は2014年にも女性患者に対する傷害事件を起こし、業務停止処分を受けたほか、さらに2022年に女性に対する傷害行為の疑いで逮捕された。 2013年12月20日、コンサータの18歳以上への処方も認可され、全年齢のADHDへのコンサータ処方が可能となった。
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