報道までの道のり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 22:47 UTC 版)
2004年2月7日に日本で初めてのアスベスト被害者団体である「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」が結成される。その結成をラジオ放送で聞いたドキュメンタリー工房のスタッフらが、2004年6月上旬に上記患者団体の関係者に接触したことにはじまる。 スタッフらは患者団体の関係者に協力する形で中皮腫の患者と接触を図っていくが、その過程で職業関連上でアスベストを扱ったことがない患者と出会うこととなった。その1人にとあるガソリンスタンドの女性店長の患者がいた。スタッフらが彼女と初めて接触した際、その患者からクボタが原因企業ではないかという示唆的な訴えが出た。患者団体関係者がクボタに電話にて労災死亡者数を問い合わせたところ、全69人のうち原因となった尼崎の旧神崎工場(1954年から1995年にかけて、アスベストを用いた水道管や建材を製造していた)が68人と高率であることがわかった。そのような結果も踏まえ、2005年5月28日にドキュメンタリー工房が制作した「終わりなき葬列 〜発症まで30年・いま広がるアスベスト被害〜」が朝日放送で放送された。しかし企業名が伏されていたし、関西ローカル放送に限定されていたため、大きな反響は生まなかった。 6月中旬、この放送を見た毎日新聞記者が患者団体の関係者に連絡し、取材を始めた。6月30日にクボタは被害者に見舞金を支払う予定だったが、前日にそれを毎日新聞が報道して反響を生んだ。
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