報道キャンペーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:31 UTC 版)
スターリンはタス通信社とソ連共産党の機関紙プラウダに、スターリンを含むソ連の指導者を暗殺する事を目論んだ医師団の陰謀が発覚した件について報道をするよう命じた。このキャンペーンが目指す目標は、見世物裁判の舞台を設定する事だった。他の資料によると、ベリヤとマレンコフが主導権を握っており、彼らは自分たちの利益のために計画を利用し続けていた。1953年1月9日、ベリヤは政治局に陰謀の公表を決定するように促した。彼にとっては医師団陰謀事件が、彼が個人的に影響を受けたミングレル事件(英語版)を上回る注目を集める事が特に重要だった。 1953年1月13日、9人のモスクワの高名な医師が、ソ連の政治・軍事の指導者を毒殺する大規模な計画に参加したとして告発された。プラウダは「医学者の仮面をかぶった悪質なスパイと殺人者」という見出しでこの告発を報じた。 本日、タス通信社は、サボタージュ行為を行った医師たちが逮捕されたと報じた。 このテロリストグループはしばらく前に国家安全保障機関によって摘発された物で、医療のサボタージュによってソビエト連邦の指導者たちの命を縮める事を目的としていた。捜査の結果、テロリストグループの参加者は、医師としての立場を利用し、患者の信頼を悪用して意図的かつ悪質な誤診を下して患者の健康を損ない、誤った治療法で患者を殺害していた事が判明した。これらの悪魔・殺人者は、科学者である医師という崇高で慈悲深い称号で自らを覆い隠し、科学という聖なる旗を汚した。彼らは、極悪非道の犯罪に手を染める事により科学者の名誉を汚した。 この人間の皮をかぶった畜生の集団の犠牲者の中には、アー・アー・ジダーノフ同志とアー・エス・シチェルバコフ同志がいた。犯罪者たちは、同志ジダーノフの病気を利用して、心筋梗塞を意図的に隠し、この深刻な病気に不適切な治療を行って、同志ジダーノフを死に追いやったと自白している。殺人医師たちは、誤って非常に強力な薬を使用したり有害な治療を行ったりして、同志シチェルバコフの命を縮め、死に至らしめた。 大半のテロリストグループ参加者は、アメリカの情報機関に買収されている。彼らはアメリカの諜報機関の支局、つまり 「ジョイント」と呼ばれる国際的なユダヤ人ブルジョア民族主義(英語版)組織に勧誘された。 このシオニストスパイ組織は、慈善活動の仮面をかぶり悪行を隠していたが、今、完全にその汚い顔が明らかになった... 我々は毒殺医師一味の正体を暴く事で、国際的なユダヤ・シオニスト組織に打撃を与えた... これにより「ジョイント」の仮面の下にどんな慈善家や「平和の友」が隠れているか、誰もが知る事になるだろう。 現在、テロリストグループの他の参加者であるヴィノグラドフ、エム・コーガン、エゴロフは、イギリス情報機関に長年にわたり仕え、その最も犯罪的で卑劣な仕事を遂行していた事が判明している。主役のアメリカと手下のイギリスは、平和的手段で他国を支配する事が不可能である事を知っている。彼らは、新たな世界大戦の準備に狂奔し、ソビエト連邦や人民民主主義国に精力的にスパイを送り込み、ヒトラーができなかった事を成し遂げようとしている。 つまり、自分たちで破壊的な「第五列」をソ連国内に作り出そうとしているのだ。 ソビエト人民は、可能であるあらゆる手段で警戒を強め、戦争屋とその代理人のすべての計画に警戒し、軍隊と我々の政府の諜報機関を絶えず強化する必要性を少しでも忘れてはならない。 他には「著名なユダヤ人ブルジョア民族主義者」と呼ばれていたソロモン・ミホエルス(モスクワ国立ユダヤ劇場(英語版)の俳優・演出家、ユダヤ人反ファシスト委員会委員長、1948年1月暗殺)、ミロン・ボフシ(英語版)(心理療法家、スターリンの侍医でミホエルスのいとこ)、ウラジーミル・ヴィノグラドフ(ロシア語版)(心理療法家)、ミハイル・コーガン(英語版)(心理療法家)、ボリス・コーガン(ロシア語版)(心理療法家)、ピョートル・エゴロフ(ロシア語版)(心理療法家)、アレクサンドル・フェリドマン(ロシア語版)(耳鼻科医)、ヤコフ・エッチンゲル(心理療法家)、アレクサンドル・グリンシュテイン(ロシア語版)(神経病理学者)、ガヴリル・マヨロフ(心理療法家)について言及されていた。 名前が挙げられた9人の医師のうち6人がユダヤ人であった。 被害者とされたのは、高位の政治家であるアンドレイ・ジダーノフ、アレクサンドル・シチェルバコフ(英語版)、陸軍元帥のアレクサンドル・ヴァシレフスキー、レオニード・ゴヴォロフ、イワン・コーネフ、セルゲイ・シュテメンコ将軍、ゴルデーイ・レフチェンコ(英語版)提督などが含まれた。 スターリンは多くのソビエトユダヤ人著名人士が署名した、陰謀に関与したユダヤ人を糾弾した上、ソ連と社会主義に忠実なソビエトのユダヤ人と一線を画する内容の書簡をプラウダに掲載する事を検討した。この書簡はふたつの版が作られたが、掲載される事はなかった。スターリンが最終的に公表を取り止めたのか、それとも彼の死の時点ではまだ作業が終わっていなかったのかは不明である。
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