本件に関わる本人への取材内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:23 UTC 版)
「貴ノ岩義司」の記事における「本件に関わる本人への取材内容」の解説
週刊新潮2018年12月27日号のインタビューに応じ、引退の経緯を語っている。引退について『協会の圧力では無いか』という報道は否定し、引責引退は自身の決断であるとしている。日馬富士による暴行事件以来、報道の過熱(テレビ・ネット両方)・本場所の土俵に上がれない時期が長かったことがつらかったことも理由としている。被害者力士には謝罪をしている。 師匠の20代千賀ノ浦は貴ノ岩を厳しく叱責したが、引責引退を申し出ると泣いて引き留めたという。貴乃花部屋の部屋付き親方をしていた師匠とは9年もの付き合いがあり、自分の引退を悔しく思って泣いてくれた師匠のためにも、もっと上を目指して三役以上で立派な引退相撲を取りたかったと話している。 貴乃花が協会を退職するときは心細く感じ、自らの失態について「10年はどんな状況でも会わない」とするテレビでのコメントには複雑な思いだが、高校生で来日し貴乃花部屋で頑張ってきた。だからこそ、情けないと言われても断髪式で最後の姿を見て欲しいと望んだが叶わなかった。 2019年12月20日放送のTBS『爆報! THE フライデー』の取材に「真摯に取材してくれるなら」という条件のもとで本人がインタビューに応じた。2018年12月の付け人暴行事件については「(付け人に)厳しすぎてやりすぎてしまった」「『辞める』とすぐに決めた」と話している。このことで日本国内でマスコミに追いかけられている時期が一番つらかったという。 2019年3月に帰国したあとも、母国で『日馬富士を引退に追い込んだ張本人』としてバッシングを受け続けた。そのため引きこもりになって、兄の家から3ヶ月も出られなくなり、食事ものどを通らず体重が40kgも減少した。精神的に追い詰められたときに電話をかけてきたのは、日馬富士であった。日馬富士自身が開校した「新モンゴル日馬富士学校」の相撲の指導者として勧誘され、そこから社会復帰への糸口を掴んだ。日馬富士との関係については「故郷が一緒だし、男同士だし、もうわだかまりはないですね」と話している。 元師匠の貴乃花については「申し訳ないという気持ちはあります。お父さんのような存在です。自分の中では心では表せないぐらい感謝の気持ちでいっぱいです」と語っている。
※この「本件に関わる本人への取材内容」の解説は、「貴ノ岩義司」の解説の一部です。
「本件に関わる本人への取材内容」を含む「貴ノ岩義司」の記事については、「貴ノ岩義司」の概要を参照ください。
- 本件に関わる本人への取材内容のページへのリンク