公園と記念碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 08:16 UTC 版)
「バート・ドリーブルク」の記事における「公園と記念碑」の解説
市内の公園状況は、比較的広く、多彩である。 ドリンゲンベルク南部のショーンラウ礼拝堂に面する一般公開された広さ約 500 m2 の緑地は、ドリンゲンベルクのカトリック教会が所有しいている。この公園は、平らな山上に位置している。ここは何世紀もの間秘密裁判が行われた。裁判は通常1年に3回開かれた。主の公現の祝日(1月6日)、聖体の祝日(6月頃)、聖ミヒャエルの祝日(9月29日)後の月曜日であった。裁判所(フェーメ(ドイツ語版、英語版))は13世紀に初めて記録され、バート・ドリーブルクからアーロルゼンに至るディンゲン秘密裁判区に属した。最後の審議は1593年であったと伝えられている。このフェーメは、1763年に司教領主の命令により取り壊された。聖リボリウスに捧げられた礼拝堂がこの敷地内にある。この礼拝堂は屋根の上に小塔を戴いた切妻屋根の木組み建築で、1675年に建造された。 同じくドリンゲンベルクに、一般の立ち入りが可能なドリンゲンベルク城塞庭園がある。この庭園は市の所有である。城塞の南側の「フライハイト」には、かつて奉公人の家、家畜小屋、牢獄があった。現存する十分の一税倉庫は現在、市営ホールとして利用されている。主に1960年代に、前述の付属建造物が取り壊され、その土地は緑地に改造された。目につくのは、緑地を2つのテラスに明瞭に分けている、階段のある段差である。城塞周辺には、19世紀にはすでに散策路が設けられ、現在もオークやシナノキが植えられている。 ノイエンヘールゼ修道院の庭はガーナ総領事の所有であり、一般公開の期間中または予め申し込んだ者だけが立ち入ることができる。芝生広場と円錐形に刈り込まれシンメトリーに配置されたクマシデがこの庭園を構成している。教会と修道院の建物との間にかつての円塔の石の囲いが見られる。修道院教会北側の教会の庭には現在、大きな戦争記念碑が置かれた近代的な緑地がある。 ヘルステ地区南部に一般の立ち入りが許されているロンメンヘラー水源の緑地がある。これは、炭酸企業の創始者であるカール・グスタフ・ロンメンヘラーにちなんでおり、2列のクマシデの低い生け垣と長いシナノキの並木道で構成される歴史的なブルンネンアレー(泉の並木道)がある。泉の館や、長方形で方形屋根を戴く切石建造物が敷地内にある。2つのシナノキの並木道は、半円形のエクセドラである泉の館付近で終わる。 バート・ヘルマンスボルン病院が所有している広さ 20 ha のクアパーク・バート・ヘルマンスボルンは一般に立ち入ることができる。このネオバロック様式のクアパークは、1924年と1925年に造営された。この庭園の主要な構成要素は、マロニエの並木道がある中央通路と公園中央にある大きな円形花壇である。クアパークの東部と西部は風景庭園となっている。東部は散策路で結ばれた小さなオークの林がある。林の中には、シャクナゲやツツジが植えられている。庭園の下部にはいくつかの池と水の階段(多段の滝)がある。小山の登り道は、針葉樹のある荒れ地を模している。このクアパークは、いくつかの森を取り込み、現在ではかなり面積を拡大している。 グレーフリッシャー・パーク・バート・ドリーブルク(直訳すると「伯爵の庭園」)はバート・ドリーブルクで最も重要な公園である。広さ 27 ha のこの公園は、2010年夏期以降、有料で入場することができる。造営は、1669年に司教領主のフェルディナント・フォン・フュルステンベルクの下で、「ドリーブルガー・ザウアーブルンネン」への二重の並木道を整備することで開始された。パーダーボルン司教領の名所となったこの公園の最も古い姿は、1672年のMonumenta Paderbornensia に収められたヨハン・ゲオルク・ルドルフィの銅版画に描かれている。1782年にカスパー・ハインリヒ・フォン・ジールシュトルフがドリーブルクの源泉を入手し、ドリーブルクの温泉と公園の創始者となった。温泉と公園はその発展の歴史上一体のアンサンブルを形成しており、現在は「グレーフリッシャー・パーク・バート・ドリーブルク ― ホテル・ウント・スパ」という名称である。ジールシュトルフ男爵は水源付近の土地を購入しイギリス様式の風景式庭園を造成した。これは創始者がイングランドに滞在した経験や、イングランドと血縁関係にあるハノーファー家やブラウンシュヴァイク家との結びつきによるものであった。マロニエ、シナノキ、オークからなる「グローセ・アレー」(大並木道)が都市と泉との間を東西に通っており、宿泊施設、ギャラリー、浴場施設間の遊歩道へと伸びている。中央部の主源泉周りには、飲水場および遊歩ホールとして「ブルンネンハウス」(泉の館)が1822年から1824年に新古典主義様式で設けられた。この建物の前には、拡張された「ブルンネンプラッツ」(泉の広場)と呼ばれる広場がある。南から直角に並木道が交差し、移動や景観の中心となる軸を形成する。この周囲に、1784年から、創設期の様式にあわせてマンサード屋根をいただき自然石の基礎の上に立てられた木組み建築が建設された。中心部分のレイアウトは、T字型を描いている。この中央部は南側を芝生広場で囲まれている。この広場には、様々な種類の樹木が単独であるいはグループで植えられている。これを取り囲む散策路は、公園内外の変化に富んだ眺めを楽しむことができる。創設者は、温泉客が自然に親しめる公園を意図したのである。 鉄道建設によって、市街と温泉とを結ぶ並木道が1864年に分断された。公園の拡大に伴い、北西部に「バラ園」が設けられた(1932年)。2 ha の敷地に様々な種類や色のバラ数千本が、庭園寺院の周囲に植えられた。これをシャクナゲの生け垣が囲い、野外ステージを持つコンサートガーデンが設けられた。ブルンネンハウス裏の「ブルンネンガルテン」には、高いクマシデの林の間、円形の水槽のまわりに、瞑想・休憩スペースがある。東西の景観軸上の芝生広場に2009年に色彩豊かなシュタウデンガルテンが設けられた。公園の東側では、小川が堰き止められて池となっている。池からは噴水が吹き上げ、水鳥が住んでいる。休息用の広場や拡張された浴場は、温泉の最盛期を彷彿とさせる。ホール建築の新たな改築・近代化工事により、新たな遊歩廊が使用できるようになり、乗り入れ道路が整備された。公園西部には2007年にスイミングプールと休息広場をもつ「スパガルテン」が造られた。公園内の花の装飾は、季節ごとに入れ替えられる。また、ヘルダーリンの林、ディオティマの小島、アンネッテ・フォン・ドロステ・ハウス、あるいはドリーブルクの医師でプロイセンの政治家にしてヴェストファーレン叙事詩「13本のボダイジュ」の作者であるフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴェーバーの胸像が文学的な詩情をかき立てる。この公園は2001年に、ドイツ庭園芸術および景観文化協会の「ドルデナー・リンデンブラット」(金のボダイジュの葉)を受賞し、2005年にヨーロッパ庭園遺産ネットワークに参加した。この施設はオストヴェストファーレン=リッペで最も手入れの行き届いた庭園の一つである。 同じくバート・ドリーブルクにあるブッデンベルク樹木園は、1966年に設立された樹木園である。この施設は、バート・ドリーブルクの中心から東に直線距離で約 1 km に位置している。この樹木園はアドルフ・ブッデンベルク公園の一部であり、約 10 ha に 200種類以上の樹木がある。 小さな市立公園では、森が池を取り囲んでおり、釣りクラブがスポーツフィッシングを楽しむのに利用している。 現在ツーリストインフォメーションがある場所には、1864年、1866年、1870/71年の戦没者記念碑があった。この記念碑は現在射撃広場に建っており、2002年から2003年に修復が行われた。ヨハニス礼拝堂の上にあるアリーザーベットには1932年に第一次世界大戦の戦没者記念碑が建てられた。この記念碑は1955年に、両大戦の戦没者に捧げなおされた。 ローゼンベルクには、カスパー・ハインリヒ・フォン・ジールシュトルフ伯を記念するオベリスクが建てられており、礼拝堂を持つ伯爵の墓地がある。
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