両大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 11:55 UTC 版)
運河の開通した1914年は、第一次世界大戦開戦直後であり、このため運河利用は1918年頃まで低迷を続けた。しかし1919年に、第一次世界大戦が終結するとともに、運河の利用は激増した。1930年代後半になると世界情勢が再び緊迫し、大日本帝国との対立が激しくなる中、アメリカ合衆国連邦政府はパナマ運河の拡張案を成立させ、1939年に着工した。 この工事は別水路を作って、パナマ運河の通航可能量を増大させるもので、新規の閘門を作ることから「第三閘門運河」と呼ばれたが、第二次世界大戦中の1942年に拡張工事は中止された。しかしこの工事跡はその後も残り、21世紀に入って、パナマ運河拡張案が再浮上した時に再利用されることとなった。なお、1941年4月に、第二次世界大戦に入ったヨーロッパ戦況の激化を受けてアメリカとイギリス船以外の利用が禁止された。
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