風景式庭園
風景式庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:56 UTC 版)
「ランスロット・ブラウン」の記事における「風景式庭園」の解説
ブラウンはイギリスで最高級のカントリーハウスや邸宅を囲む170を超える庭園を担当していたと推定されている。彼の作品は現存するものだけでもベルボア城 、Croome裁判所(庁舎の設計も担当、ブレナム宮殿、ウォリック城 、ヘアウッドハウス、アプルダークームハウス、ミルトン修道院(と、近くのミルトンアバス村)、キューガーデン、その他の多くの場所を手掛けている。 なめらかにうねりながら邸の正面に達する草地、樹木の集中した植え込み、並木、単立する木の散在、小川を目に見えないように堰き止めることによって形成された蛇行する湖などは、イギリスの風景庭園における「特別な庭を造らない」新しいスタイルであり、これらの風景式庭園はそれ以前の幾何学式庭園の残滓をほぼ一掃した。 彼の設計する風景は当時のファッションの最前線にあった。それらは、先人たちの設計した庭園――1710年代から詩人のアレキサンダー・ポープらによって批判されるようになっていたイギリスの有名なフォーマル・ガーデン――とは根本的に異なっている。1719年から、ウィリアム・ケントがそれらをより自然な構成の庭園に作り替え始めていたが、この新様式はブラウンの風景庭園で洗練の極みに達したのである。 ブラウンのパトロンたちは、ブラウンが設計した理想的な風景を自分たちが賛美・蒐集しているイタリアの風景画になぞらえた。その嚆矢となったのはストウヘッドの風景庭園についてのケネス・ウッドブリッジの評だが、実はこの庭園はブラウンが関わっていない「ブラウン流」のものであり、ブラウン自身は取り入れたことがない周遊式の散歩道が設けられている。
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