風景描写の特色
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『冬の日』の作中で描かれる風景は、おもに当時基次郎が下宿をしていた東京市麻布区飯倉片町(現・港区麻布台3丁目)の町の風景である。ここは1925年(大正14年)5月末から住んでいた地で、部屋からの眺めの見晴らしの良い場所であった。 堯の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立つてゐる木々の葉が、一日ごと剥がれてゆく様が見えた。ごんごん胡麻は老婆の蓬髪のやうになってしまひ、霜に美しく灼けた桜の最後の葉がなくなり、欅が風にかさかさ身を震はすごとに隠れてゐた風景の部分が現はれて来た。 — 梶井基次郎「冬の日」 上記のように風景や事物を叙述する修辞は、冗漫さが避けられ、俳句のように象徴的なまでに吟味されており、散文詩的、詩的な文体となっている。また、枯葉が四散する欅の枝の描写というよりも、その向う側を見ようとする主人公の心が主となっており、風景描写と心理描写との境界が明瞭でなく、ある意味一体化しているような表現方法となっているため、その意味でも西欧的な小説とは違って、詩に近い印象となっている。 〈欅が風にかさかさ身を震はすごとに隠れてゐた風景の部分が現はれて来た〉の一節での、多くの枯葉が吹き飛んでいく様が省略され、〈風景の部分が現はれて来た〉に力点がおかれているような描写の方法を、詩人の三好達治は、「修辞の素朴な上に極めて洒落つ気に富んだあたりも最も梶井式な点」だと解説している。 ちなみに、三好によれば、〈冬陽は郵便受のなかへまで射しこむ。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持つてゐて、見てゐると、それがみな埃及のピラミッドのやうな巨大な悲しみを浮べてゐる〉という一節の中のピラミッドの比喩は、三好の言からヒントを得た「入れ智恵」だという。 彼はこのやうな比興とも空想ともつかないものを極度に喜ぶたちで、うまくいひあてる、といふことに就ては日頃やや夢中になる方で、些細なことにも相好を崩さんばかりであつたことが屡々だつた。(中略)拝借も辞さなかつたが、彼自身もその点では甚だ巧者でそれがいささか内心得意であつたかも知れない。 — 三好達治「梶井基次郎」
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