風景型の展示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 16:39 UTC 版)
「ハーゲンベック動物園」の記事における「風景型の展示」の解説
父カールを1887年に亡くした2代目カール・ハーゲンベックは、1890年代に入ると「パノラマ展示」を始め、特許を1896年に取得する。当初「北の風景」と名づけた展示区画は、前景に鰭脚類を、北極海に見立てたプールにセイウチを入れた。来場者の死角に当たるプールの陰に堀を配して、手前の区画にトナカイを、さらにもう1本堀を設けて奥にホッキョクグマを配した。堀が視界に入らないことから、来場者の目には動物たちがひとつながりの風景、つまり「パノラマ」におさまって見えたのである。 ハーゲンベックは1907年にハンブルク郊外に新しい施設を建設し、今日まで続く動物園を開く。名称は「動物の園ハーゲンベック」から「ハーゲンベック動物園」に改め、ドイツ語の綴りは「Tierpark Hagenbeck」に変えてあった。園内をすべて風景型展示にする計画であり、また当時の常識では熱帯気候の動物は温度と湿度調整ができる展示施設に入れるため維持費がかかったが、そのような展示方法で来場者と隔絶する必要はないと証明しようと考え、ここでも現実の生態に近づける展示方法を試みた。 サーカスを興行するハーゲンベックは動物の種ごとのジャンプ力を調べ、高さと距離のおおよそのデータを把握し、堀をほって空堀にしたり水を張るなど動物が飛び越えたりわたったりできない設備を作る。すると広々とした園内を眺めたとき、まるで自然環境のように多くの動物が目に入る演出が完成した。それまでの動物園では実施されたことのない、動物を種別に取り合わせる方法を始めたハーゲンベックは動物園の展示を改革した。この方法は動物園の人気を高め、ハーゲンベックは1911年に同じ様式でローマ動物園 (英語版) を設計する。1913年にはハンブルクの施設に初の猿山の展示を人工の岩場と深さ16フィート (4.9 m)の堀で作り、200頭前後のマントヒヒを展示した。 こうしてハーゲンベックは展示施設に動物の楽園と名づけ、「さまざまな動物が調和よく、生存競争を排除して暮らす」と説明した。
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