建築家と庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 16:20 UTC 版)
「ヘルマン・ムテジウス」の記事における「建築家と庭園」の解説
田中正大によると、18世紀は風景式庭園の黄金時代であったが、19世紀に入って建築家が造園の展示会を開くようになって、一般の注意は建築家の作品に向けられ、造園の本質的な転換に直面することになったという。 イギリスの建築家レギナルド・プロムフイールド(Reginald Blomfield)が著書「The Formal Garden in England」(1892年)で、風景式庭園の趣味の悪さと不合理性と自然模倣性とロマンチックな自然観を遠慮なく攻撃し、これをドイツに移植したムテジウスは、ベルリンの公園監督者・グフタフ・マイヤー等を中心とするレンネ・マイヤー学派との間に烈しい論争を行った。この状況をゴータイン女史(Marie-Luise_Gothein)は「1904年には怒って騒ぎ立てた彼等はムテジウス攻撃になおも争ったが、やはり事の成行きは着実に進行した。造園家が不平をいえばいう程、建築家は強く庭園を占有し…」と述べている。
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