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田中正大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 08:51 UTC 版)

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田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 2009年4月16日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団首席奏者、武蔵野音楽大学教授を務めた。日本におけるホルン界の草分けとして、ソロ奏者、また室内楽の先駆者として常に指導的な立場にあった。

福岡県嘉穂郡二瀬町片島(現:飯塚市)にて、旧制嘉穂中学校の数学教師であった田中親(ちかし)と妻ハルキの次男として生まれる。嘉穂高校の吹奏楽部でトランペットを吹いていたが、3年生の時に楽器庫にあったホルンを見付けて、武蔵野音楽大学にホルンで入学した。なお、嘉穂高校逍遥歌を作曲している。

武蔵野音大在学中、1960年秋に近衛秀麿率いるABC交響楽団のヨーロッパ演奏旅行に参加した。日本のオーケストラによる戦後初めての海外演奏旅行であったが、演奏旅行中に資金が底をつき、ローマで年を越して帰国した。帰国後、1971年に日本フィルハーモニー交響楽団に入団したが、翌1972年に同楽団が分裂して新日本フィルハーモニー交響楽団が設立されると首席ホルン奏者として移籍し、小澤征爾指揮の定期演奏会でモーツァルトホルン協奏曲第3番を演奏した。1973年にNHK交響楽団に入団、のち首席奏者を務める。東京八重奏団メンバーとして室内楽でも活動する。1976年から1977年までウィーンに留学し、R・フロイントに師事する。1966年から1976年まで桐朋学園大学、1970年から武蔵野音楽大学で指導する。京都市立芸術大学助教授も務めた。

翻訳書に『写真で学ぶフレンチホルンのアンブシュア』(P.ファーカス著、パイパーズグループ、1974年発行)、監修・共訳に『金管楽器を吹く人のために』(P.ファーカス著、パイパーズグループ、1980年)などがある。




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