建築家とパトロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 22:35 UTC 版)
「ホウカム・ホール」の記事における「建築家とパトロン」の解説
ホウカム・ホールは初代レスター伯トマス・クック(1697年 - 1759年)により建てられた。文化的であり裕福だったクックは青年時代にグランド・ツアーに行き、1712年から1718年の6年間イングランドを離れた。彼は1715年にイタリアで、イングランドにおけるパッラーディオ建築復興ムーブメントの最前線にいた貴族・建築家のバーリントン伯爵リチャード・ボイルとウィリアム・ケントに出会い、パッラーディオ様式によるホウカムの邸宅のアイディアが考案されたと思われる。クックは新しく得た蔵書だけではなく、彼が計画した新しい邸宅を飾る美術や彫刻のコレクションと共にイングランドに戻った。 しかしながら彼は帰国後怠惰な生活を続け、飲酒とギャンブルと狩猟、及び闘鶏に興じた。クックは1720年に南海泡沫事件を引き起こした南海会社に対する投資で大損害を被り、これが原因で新しい邸宅の建築計画は10年以上遅れることになった。クックは1744年にレスター伯位を創設したが、ホウカム・ホールが完成する5年前の1759年、投資による損失を完全に取り返せないまま死没した。クックの妻レディ・マーガレット・タフトン(Lady Margaret Tufton, Countess of Leicester、1700年 - 1775年)は、その後邸宅の仕上げや配置の監督を行うこととなった。 1720年代の初めにクックはコーレン・キャンベルを雇ったが、ホウカム・ホールの工事と建築に関する設計書で現存するもののうち、最も古いものはトマスの下でマシュー・ブレッティンガムにより1726年に書かれたもので、その内容はバーリントンとケントにより策定された指針や理想に沿っていた。採用されたのは復興様式のパッラーディオ建築で、当時イングランドで受け入れられつつあった様式である。 パッラーディオ建築はイングランド内戦前のイングランドで一時期流行したもので、イニゴー・ジョーンズによって導入されたものの、王政復古の後はバロック建築に人気を奪われ取って代わられた。18世紀に人気だった「パッラーディオ復興」は16世紀のイタリアの建築家アンドレーア・パッラーディオの作品の外観に概ね基づいたものだったが、この潮流の中で立てられた建築物はパッラーディオの「比率」(proportion) に関する厳格なルールには従っていなかった。この様式は最終的には、一般にジョージア様式建築 (英語版) と呼ばれ、今日のイングランドでも未だに人気の高い様式に進化した。復興様式のパッラーディオ建築は市街地・郊外双方の数多くの邸宅で採用されたが、ホウカム・ホールは他の多くの建築物よりもデザインの厳格性、及びパッラーディオの理想に最も近いという点で別格だった。 クックはプロジェクトを監督したが、現場の建築業務は地元ノーフォークの建築家で、現場作業責任者として雇っていたマシュー・ブレッティンガムに委ねた。ブレッティンガムは既に建築家として伯爵領の建物の管理料として年50ポンド(2016年現在の貨幣価値で約7,000ポンド)を受け取っていた。ウィリアム・ケントは主に南西棟の内装、及び家族の生活のための区画、特に「ロング・ライブラリー」(Long Library)を担当していた。ケントはクックが望んでいたものよりも遥かに豊富な装飾を提案し、多様な外装を施した。 ブレッティンガムはホウカム・ホールを「私の人生における偉大な仕事」と考えており、 "The Plans and Elevations of the late Earl of Leicester's House at Holkham" を出版した時にはケントの関与に言及することなく、不遜にも自分自身を唯一の建築家として記述した。しかしながらこの著作の後の版では、ブレッティンガムの息子は「全体的なアイディアは、最初ウィリアム・ケント氏の支援を受けてレスター伯爵とバーリントン伯爵により出された」ことを認めた。 1734年、最初の建物の基礎部分が作られた。しかしながら建築は、1764年に立派な邸宅が完成するまで30年間続いた:204。 マーブルホール内の正面玄関の上の碑文には次の言葉が刻まれている。 THIS SEAT, on an open barren EstateWas planned, planted, built, decorated.And inhabited the middle of the XVIIIth Century By THO's COKE EARL of LEICESTER (荒れた大地で計画し植栽し建築し、装飾した。そして18世紀半ばに住むこととなった。レスター伯爵トマス・クック)
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