公園にある碑や像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:04 UTC 版)
●は、現存しないもの。 梅田雲浜碑 1897年(明治30)11月3日除幕式。碑面の題字は山県有朋、横面の碑文は門人の行方正言、書は巌谷一六。 梅田雲浜歌碑 「君か世をおもふ こゝろの一すちに わか身ありとも おもはさりけり」 梅田をちきみのうた 登美 1943年(昭和18)11月14日除幕式。雲浜の歌が1942年11月、愛国百人一首に選ばれたのを機に雲浜先生事蹟保存会が建設。書は姪の山田登美子。 ●梅田雲浜銅像 1930年(昭和5)6月22日除幕式。小浜町出身の金物商川舟喜太郎が自費で建設。銅像は台石ともに1丈1尺(3.3メートル)。戦時下の金属供出によって1944年1月撤去。 ●佐久間勉銅像(1914年) 1914年(大正3)8月3日の小浜公園の開園式と同時に除幕式。作者は不明。東京の旧小浜藩主酒井家邸にあった銅像建設事務所から舞鶴鎮守府をへて13年8月に回漕、一時小浜尋常高等小学校内に保管し、14年7月に青井山腹に据え付けた。 戦時下の金属供出によって1944年(昭和19)1月撤去。 佐久間勉銅像(1959年) 1959年(昭和34)4月15日除幕式。作者は、笠原行雄・原卓美。 山口嘉七碑 山川登美子歌碑 「いく尋のなみはほをこすくもにゑみ 北国人とうたはれにけり」 海望山中腹にある歌碑で1950年(昭和25)12月27日除幕式。書は、小浜出身の海軍大佐土田数雄(-1959)。 「髪なかき少女とうまれしろ百合に 額は伏せつゝ君をこそ思へ」 小浜公園東端案内板の近くにある歌碑。2000年(平成12)4月、「若狭を謳う」実行委員会が設置。 上田三平碑 書は、平泉澄。上田三平(1881-1950)は、小浜町羽賀生まれ。1904年(明治37)福井県師範学校卒業。同校訓導として福井県下で教授法研究、教師教育に取組む。1917年(大正6)から石川県、内務省、文部省等の史蹟名勝天然記念物を調査し、薬園史の研究にも成果をあげた。 ●忠魂碑 忠霊碑 1956年(昭和31)11月18日除幕式。 碑や像 梅田雲浜の碑(絵葉書) 梅田雲浜の碑(2021年) 梅田雲浜歌碑 ●梅田雲浜銅像(絵葉書) ●佐久間艇長銅像(絵葉書1、1914年設置) ●佐久間艇長銅像(絵葉書2、1914年設置) 佐久間艇長銅像(2021年、1959年再建) 山口嘉七先生頌徳碑 山川登美子歌碑(海望山中腹) 山川登美子歌碑(小浜公園東端) 上田三平碑 忠霊碑 景観 小浜公園から見た漁船群(絵葉書) 小浜公園から見た小浜町市街、小浜城跡、佐久間艇長銅像(絵葉書) 展望台近くから見た小浜湾 海望山(青井山)頂上にある「星の広場」
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