プラクティスおよび予選
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「1995年モナコグランプリ」の記事における「プラクティスおよび予選」の解説
レース前に2度のプラクティスセッションがあり、1回目は金曜日の現地時間9:30~11:15、2回目は土曜日の同じ時間に行われた。各ドライバーは1日当たり23ラップのフリープラクティスを行った。予選は2度の1時間のセッションで、1回目は金曜13:00~14:00、2回目は土曜日の同じ時間に行われた。2回のセッションで記録した最速タイムでグリッドが決定する。各ドライバーはそれぞれの予選セッションで12ラップを走行した。 アレジは木曜日のフリープラクティス、明るくて日当たりのよい天候の中で1番手タイムを設定し、1:25.457を記録した。シューマッハとヒルは2番手、3番手となり、彼らのチームメイトは改良された2台のマクラーレン、ハッキネンとブランデルによって分けられた。ベルガーはアレジよりも2秒以上遅く、9番手タイムだった。シューマッハーはハンドリングに不満を抱いていた。そして、B195の後部は予選前に予防的チェックのために分解された。更に後方では、フレンツェンのザウバーがセッションの間にエンジンカバーを取り外した後、18番手のタイムを記録した。ブイヨンはヌーベルシケインでクラッシュし、前年のヴェンドリンガーの事故を思い起こさせたが、幸いなことに彼は無傷だった。シムテックのギアボックス不足も明らかだった。ヨス・フェルスタッペンのユニットは5ラップを周回しただけで問題が生じた。しかしながら、ドメニコ・スキャッタレーラは14番手のタイムを記録し、チームの励みとなった。 "ここは他の大部分のサーキットとは異なって、結果に対してドライバーの貢献は60%、車は40%だ。これはシャシーの性能はこれらのカーブを曲がるときにはそれほど重要ではないからだ。ガッツがより重要だ。" 木曜日に暫定ポールポジションを記録したジャン・アレジ 木曜日の予選は似たような天候の中行われたが、セッションの終わり近くに雨が降り中断された。アレジがフリープラクティスからの好調を維持し、1:23.754の暫定ポールポジションを記録した周回ではサーキットに沿って並んでいるクラッシュバリアに接触すらした。また、ベルガーも印象的であった。彼は自身の最速タイムを出した周回でアレジが邪魔したと不平を言っていたが、カジノスクエアではパワースライドを披露し、観客を喜ばせていた。フェラーリの結果はある種の驚きを持って受け取られた。41T2のV12エンジンはモナコのようなタイトなサーキットでは不利であると考えられたが、ライバルよりも少ないトルクは理想的に働いた。アレジはセッションの結果が、彼とベルガーが車につぎ込んだ最大の努力によるものだと考えていると語った。フェラーリの2台はシューマッハに割って入られた。シューマッハはにわか雨のためコース状況が遅くなってきたので12ラップの割り当てを完了できず、自身の可能性を成し遂げるのを妨げられたと感じた。チームメイトのハーバートは暫定6位となった。ウィリアムズドライバーのうち、ヒルは暫定4位となった。クルサードはまだコースを学んでいることを認め、アレジのベストタイムよりも2.8秒遅い11番手であった。ハッキネンのマクラーレンは暫定5位であったが、シーズンの中で黄旗を無視したことで10,000ドルの罰金を科されていた。ブランデルはセッション終了直前にタイヤバリアに衝突し、暫定8位であった。 フレンツェンも印象深い走りを披露した。フライングラップで雨に遭遇、ヌーベルシケインから避難しなければならなかったにも関わらず、自身最初のモナコ戦で7番目に速いタイムをたたき出した。ブイヨンは朝のアクシデントの後、暫定21位を取るため着実にドライブした。そして、C14シャシーのひどいグリップ不足について不満を漏らした。もう一人のモナコルーキー、エディ・アーバインは経験豊富なチームメイト、ルーベンス・バリチェロに歩調を合わせ、それぞれ9番手、13番手のタイムを記録した。彼らの間には、クルサードと、リジェの二人、マーティン・ブランドルとオリビエ・パニスが入った。ブランドルは雨のためラ・ラスカスでクラッシュ、リアウィングが外れることとなった。ジャンニ・モルビデリは14番手となったが、彼も急な天候の変化によりクラッシュした一人だった。チームメイトの井上隆智穂は24番手となった。ミナルディのルカ・バドエルとピエルルイジ・マルティニは暫定8列目になった。その後にはティレルの二人、ミカ・サロと片山右京が続いたが、両名ともハイドロリンクサスペンションの期待される効果にも関わらず、バンプやアンダーステアのハンドリングに不平を述べていた。 シムテックの2人はフェルスタッペンのシャシーのギアボックスが不調だったため、スキャッタレーラのシャシーを分け合って使用し、フェルスタッペンが19番手、スキャッタレーラが20番手のタイムを出した。スキャッタレーラはラ・ラスカスでスピンし、その場から立ち去るためにコーナーの先でスピンターンを試みたが、フォルティのロベルト・モレノが現場に近づき危うくクラッシュしそうになった。彼は「非常に危険な状況を生み出した」ことで20,000ドルの罰金(3戦猶予)が科せられた。次にフェルスタッペンが交代してドライブしたが、クラッシュした。シムテックは2人のドライバーで合計9ラップしか走行できなかった。ブイヨンの後にアンドレア・モンテルミーニが続き、22番手タイムを出した。その後にはモレノが続いたが、ディニスのギアボックスが不調を来したため、車を共有しなければならなかった。ディニスはチームメイトよりも4秒以上遅く、暫定25位となった。暫定の最下位となったのはパシフィックのベルトラン・ガショー。ブレーキディスクが不調のため、左後輪にトラブルを生じ、サーキットで車を乗り捨てざるを得なくなる原因となった。 金曜日のオフにはモナコ独特のイベントが開催され、ドライバーは土曜日、明るく暖かい状況の中で戦いに復帰した。ヒルが1:23.468と言うタイムで先行したが、これはここまで週末のファステストラップであった。彼はアレジよりも0.8秒早く、その後にはクルサード、ハッキネン、ベルガー、パニスが順に続いた。シューマッハーはカジノスクエアを出てフレンツェンと衝突しサスペンションに損傷を負う。このため11ラップの周回に制限され、7番手に戻ってしまう。フレンツェンはコントロールを失って大きくクラッシュ、彼のザウバーのモノコックには穴が開いてしまった。ブランデルもラ・ラスカスでクラッシュしたが、そのダメージは容易に修理できた。 メインのドラマはプラクティスセッション終了後に起こった。井上隆智穂がスピン、エンジンストールする。車両が牽引されてピットに戻る途中、ラリードライバーのジャン・ラニョッティの運転するセーフティカー、ルノー・クリオが衝突する。FA16は横転し、車体後部とエンジン、ギアボックスに損傷を負った。井上はヘルメットを被りシートベルトを外したままコクピットに座っていたが、特に怪我は負わなかった。しかしプリンセス・グレース病院に運ばれ頭部スキャンを受けた結果、午後のセッションへの参加は許されなかった。フットワークの代表ジャッキー・オリバーはこの事件に激怒し、イベント運営主体のモナコ自動車クラブに対して公式書簡を送った。彼は、井上がヘルメットをしていなければ死亡していたとし、モナコ自動車クラブとラニョッテイの態度に関して質問した。「なぜラニョッテイが向こうにいたのか。それは規律が欠如している。私は彼が以前ロウズヘアピンでブレーキターンを使いながら1時間あたり100万マイルで数回のラップを達成したことがあったのを理解している。彼の目的は何だったのだ。オフィシャルにスリルを与えることだったのか?」スチュワードはこのミスが井上の責任ではなく、予選のためにスペアカーを使用するのを暗に認めたが、これはセッションにおける彼の不参加によって無意味となった。 "ミハエルがセッション序盤にクイックラップを達成したとき、私はベネトンが再び好調になり、私たちはトラブルに見舞われたと考えた。しかし全てが私のために展開した。私の最後の走行は、今まで達成した中でもパーフェクトに近いものだったと思う。今私は6回目のポールを獲得し、ヒル家のためにモナコでの6度目の勝利を達成したい。" ポールポジションを獲得し、父親のモナコの勝利数に自己の勝利を加える見通しが立ったデイモン・ヒルのコメント。土曜日。 午後の最終予選セッションは午前の走行と同様の良い天気の下行われた。リジェの両名が最初の最速タイムを出し、次に主要ドライバーが最初の走行を完了した。シューマッハはセッション20分頃に1:23.139の暫定ポールタイムを記録する。そしてベルガーは0.5秒縮め3位に浮上した。5分後、ヒルが1:23.294までベンチマークを下げた。シューマッハは8分後に1:22.742でこれに応じた。その後ヒルが1:22.115でポールポジションを獲得した。シューマッハは最終走行でタイムを更新できず、ヒルはその後ポールタイムを1:21.952まで短縮した。ヒルのFW17は優位なパフォーマンスを発揮し、3つのセクタータイムそれぞれでシューマッハのベストよりも速かった。ヒルは自身のパフォーマンスに満足していたが、シューマッハのベネトンは制御するのが難しく、ヒルとの0.8秒の差は朝のセッションにおけるフレンツェンとの接触が影響したと批難した。 トップ2の後では、ポールポジション獲得を目指したフェラーリの挑戦が最終セッションで色あせた。アレジ車はセッションの最初のラップの後水圧を失ってゆっくりと止まった。そのため、予選アタックのため残りの周回はベルガーのシャシーを共有することとなった。このためベルガーは計画していたプログラムをいそいで消化しなければならなくなり、4周の予定を3周としてからアレジに明け渡した。ベルガー車をアレジの好む状態にセットアップするため、車のペダルまで手直しするといった広範囲な調整が要求され、アレジはセッション残り僅か2分38秒までピットに留められることとなった。アレジにはちょうどフライングラップ1周分の時間が残されていたが、それはアーバインのジョーダンが残り1分でタバックにおいてクラッシュしたことで台無しとなった。その結果、アレジは木曜日のタイムを更新することができず、ベルガーの0.5秒遅れ、5番手となった。フェラーリの問題はクルサードがサーキットに慣れ、1:23.109で3位に浮上することを許した。ハッキネンはセッションの終わりにアーバインのクラッシュによってアタックが妨げられたドライバーの1人であった。ハッキネンはハーバートの前の6番手となり、シューマッハの1秒遅れと言うことで満足していた。2台目のマクラーレン、ブランデルはサン・デボーテでブレーキングをミスし、エスケープロードを上ったにも関わらずトップ10に入った。ブランドルは8位、アーバインはクラッシュしたにも関わらず9位となり、イギリス人ドライバー6名の全員がトップ10入りしたこととなった。 バリチェロは1995年シーズン、これまでのところ全イベントでチームメイトのアーバインに後れを取り、11番手となった。その後には渋滞に不満を言ったパニスとモルビデリが続いた。フレンツェンはアレジと同じく、自身の車がクラッシュしたためチームメイトの車を使って予選を走行したが、ブイヨンもマスネでクラッシュしたためザウバーの計画は中断された。その結果フレンツェンはタイムを更新できずに14位に落ち、一方のブイヨンはクラッシュするまでに3秒縮めて19位に浮上した。フレンツェンとブイヨンの間にはティレルとミナルディが入り、片山、バドエル、サロ、マルティニの順となった。グリッドの後方では、スキャッタレーラが初めてチームメイトのフェルスタッペンの前、20位に入った。フェルスタッペンは再度のクラッシュとギアボックスの不調で木曜のタイムを更新できず、23位となった。パシフィックのガショーは21位に入ったが、チームメイトのモンテルミーニはギアボックスの不調に苦しみ25位となった。フォルティはモレノ車がミスファイアを起こしたため、木曜日と同様に2人で1台の車を分け合い、ディニスが22位、モレノは24位となった。グリッドは9.5秒の間に25台が入り、その後に2日目を休んだ井上が入って決定した。
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