プラクティス及び予選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 07:47 UTC 版)
「1995年パシフィックグランプリ」の記事における「プラクティス及び予選」の解説
"僕にとってそれは単に最後の走行のため外に出るケースで、マイケルがタイムを上げた場合、それよりも良いタイムを出すためのトライであった。しかし、セッションが終わり間際だったため、僕はサーキットに出る必要があった。もしマイケルが僕より速いタイムを出したなら、もう一度コースに出てトライしたが、それを見るには時間が無かった。" セッション終盤で新品のスリックタイヤのセットを使用したデビッド・クルサードのコメント プラクティスセッションは2回行われる。最初は金曜の午前、2回目は土曜日の午前。両セッションとも1時間45分行われ、天候は両日を通じてドライであった。シューマッハは第1セッションで1:16.057の最速タイムを記録し、2位のヒル、3位のクルサードよりも0.3秒速かった。フェラーリの2台、ゲルハルト・ベルガーとジャン・アレジが4位、5位に続き、マクラーレンのマーク・ブランデルが6位となった。2回目のセッションでクルサードが1:15.730でシューマッハを上回った。ヒルは0.3秒差でこれに続いた。ジョーダンのエディ・アーバインが4位、クルサードから0.7秒遅れであった。フェラーリの2台は3位がアレジ、5位がベルガーであった。ベネトンの2台はシューマッハが6位、ハーバートが7位。ザウバーのハインツ=ハラルド・フレンツェンとジャン=クリストフ・ブイヨンは8位と10位、間にジョーダンのルーベンス・バリチェロが入った。 予選は1時間のセッションが2回となる。最初のセッションは金曜の午後、2回目のセッションは土曜の午後に行われた。それぞれのセッションでの最速タイムがスターティンググリッドの順位となる。クルサードは1:14.013で、4戦連続でのポールポジションを獲得した。彼はチームメイトのヒルと共にフロントローに並んだ。ヒルのタイムはクルサードから0.2秒遅れであった。ベネトンのシューマッハが3位に入った。シューマッハは予選両日ともダウンフォースを減らし、ウィリアムズに肉薄した。シューマッハの最後の走行は2回目のセッション終了直前に行われ、そのプレッシャーでクルサードはシューマッハをカバーするためピットを出ざるを得なかった。従ってクルサードはスリックタイヤの追加セットを使用した。これはFIAの設定したスリックタイヤ7セット以外のセットを使用したこととなり、レースでは新品タイヤを2セットしか使えないことになる。これに対してシューマッハは新品タイヤ3セットを使用できるアドバンテージを持つこととなった。ヒルはコースの汚れた側(レーシングライン(英語版)の反対側)からスタートすることを懸念し、レースで使用できる新品タイヤは2セットしか持っていなかった。 ベルガーは予選後半にグラベルにコースアウトしたが、4位となった。チームメイトのアレジは5位、アーバインはシーズンで自己最高の6位となった。ルーキーのマグヌッセンは、2回のセッションでミスすること無くチームメイトのブランデルから2ポジション後の12位となった。このグランプリで復帰した亜久里、右京、モルビデリ、井上、ガショーはそれぞれ13位、17位、19位、20位、24位となり、トップから最下位まで7.392秒に収まった。
※この「プラクティス及び予選」の解説は、「1995年パシフィックグランプリ」の解説の一部です。
「プラクティス及び予選」を含む「1995年パシフィックグランプリ」の記事については、「1995年パシフィックグランプリ」の概要を参照ください。
- プラクティス及び予選のページへのリンク