ドライバーとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:25 UTC 版)
「ネルソン・ピケ」の記事における「ドライバーとの関係」の解説
アイルトン・セナ 自身と同じく3度のワールドチャンピオンを獲得したセナとは、同胞でありながら犬猿の仲であったと信じられているが、そのネガティブな情報の大部分はマスコミの事実ではない報道によるものだとインタビューで明かしている。とは言えシーズン中での精神戦で優位に立つためにピケはカリオカ(リオデジャネイロ出身者)、セナはパウリスタ(サンパウロ出身者)であることを利用して時には笑いを交えながらきつい口撃を発したのも事実であり、セナの後任としてロータスへの移籍が決まった際には「あいつが乗ったマシンに乗り込むなら、念入りに消毒する必要がある。」と発言し物議を醸したこともある。 セナが1983年末にF1昇格する際にはブラバムとも交渉したが、ブラバムのエースであるピケがセナ加入に反対した、と報じられているのは誤報だと述べている。当時ブラバムのボスであるバーニー・エクレストンのワンマンぶりを例に出し「(バーニーの)あの性格なら、僕が反対したって言うこと聞いてくれるはずないでしょ」と地元テレビ局が組んだドキュメンタリー番組内で答えた。エクレストンによると、この時新人セナの加入をエクレストンが「強く」望んでいたのは事実だが、メインスポンサーのイタリア乳製品企業パルマラットがドライバー2名ともがブラジル人になるとマーケティング面で有益でないと反対し、1人は欧州ドライバーにして欲しいと要望されたので、イタリア人テオ・ファビの起用に至ったという。ピケはその「パルマラット」と個人スポンサーとしても一括契約していたので強い発言権があったとも報じられたが、本人はそれを否定しており、ブラバムでの最初の3年間は安給料の契約だったとも言っている。 1988年にはセナについて「あいつは女に興味が無いおかま野郎だ」とピケが発言した、とブラジリアの記者に報じられ、このことでピケは批判された。これは元々「セナはレースに関して真面目で、マシンとレースのことをいつも真剣に考えている・・・」と答えたあと「...まるで女に興味無いんじゃないかというくらいだ」と普段の調子でジョークを付け加えたところ、その付け加えた部分だけを抜き出し、誇張した「ピケはセナをホモだと言った!」という見出しになっていたという。 ベネトンに移籍した1990年、ロータスでの前年が出来の悪いマシンでの苦闘続きだったことを回想し、「あのマシン(ロータス・101)じゃ、たとえセナが乗ったって成功はつかめなかっただろう。」と名前を出し、暗にセナを認める発言もしている。 1990年日本グランプリ決勝前に行われたドライバーズミーティングにおいて、セナが前年の日本グランプリで失格の原因とされたシケインのショートカットを踏まえて、国際自動車連盟(FIA)は「元のコースに戻るように」と通達したが、「それだと正面衝突しかねず、危険極まりない。シケインをショートカットし、コースマーシャルが安全を確認した上でコースに復帰させた方がいい」とピケが主張し、認められた。結果的に、前年のセナの判断が間違いではなかったことを主張したことになる。 1990年日本グランプリではグリッド1列目スタートのセナとプロストがスタート直後の1コーナーで接触して物議を醸した。このレースを制したピケ(予選6位/3列目スタートだった)は勝利者インタビューでこのアクシデントの状況を聞かれた際に「セナがまっすぐプロストのケツに突っ込んでいった。それが真実さ」とサラリと言った。翌年にセナ自ら故意にぶつけたと告白したが、この時点ではセナの故意かプロストの過失かで議論は分かれていた。 1992年にピケがインディ500予選でクラッシュし両足複雑骨折の重傷を負い入院中、セナはピケに見舞いの電報を送っている。ピケは「それを読んでいて涙が出てきた」とコメントしている。 1994年にセナがイモラサーキットで事故死すると、「自分もあそこ(1987年サンマリノGP予選、タンブレロ・コーナー)で事故に遭ったことがある」とショックを受けた様子であった。ピケはセナの葬儀には参列していないが、事故翌日から母国ブラジルでの追悼テレビ特番にも生出演し故人を悼んだ。 元ホンダF1監督で80年代F1の「4強(ピケ・プロスト・マンセル・セナ)」全員を知る桜井淑敏によると、「セナはブラジルで少年時代からF1チャンピオンになると決めてイギリスに渡りF1まで一気にたどり着いたが、ピケは違う。これ以上ブラジルで走っててもしょうがないから、と渡英したのでF1に行くとか考えてなかった。ピケはもし欧州で結果が出ずにダメになっても、英語が上達できるからそれが財産として残れば良いと思ってたと言うんだ。セナと違って遠い将来まで決めないタイプの人間だ。その一方でピケとセナに共通しているのは、二人とも人生の全てがレースのためにある。」と述べており、家族との日常生活をレースと同等以上に大切に考えるタイプのプロストと比較すると、ピケとセナは同じタイプであると評している。 ナイジェル・マンセル ウィリアムズ時代のマンセルとは実際に確執があり、ピケはマスコミの前で公然とマンセルを「あいつは石頭で無教養。奴を本当に好きだと思う人間なんていないだろ・笑」と上品とは言いかねる調子で攻撃した。その悪口はマンセルの妻ロザンヌの容姿にまでおよんだ(ポルトガル語版PLAYBOY誌の取材を受け「マンセルの女房はブスで間抜けだ」と話した)。これらの発言はピケの自由奔放な性格によるものと思われていたが、後にピケ自身が開発と実用化に携わっていたアクティブサスペンションを、シーズン途中で利用できなくなったことを受け「1987年のチャンピオンシップ争いをしていたマンセルとの精神戦で優位に立つための方策だった」と語っている。ただしこの騒動はピケの想定より大きくなり、イギリス出身のF1ドライバーらが「家族まで攻撃するのはタブーだ」とマンセルを庇い、イギリス国内ではマスコミがマンセル側に付き、マンセル夫人が夫を支えた過去の美談などを報道するなど夫人の名誉回復に動いたため、ピケは悪役として扱われ続けることになった。 1986年にピケがウィリアムズに加入した時点でマンセルはまだF1で1勝しか挙げておらず、ピケはNo.1待遇で契約を結んだ。しかし契約から半年後にはチームとの約束は反故にされ状況が難しくなったとロータス移籍後のインタビューで吐露している。聞き手のアラン・ヘンリーに対してピケは「マンセルは1986年のブランズハッチで優勝して、その翌週にフェラーリからマンセルを獲得したいと声がかかった。するとフランク(・ウィリアムズ)は、急にマンセルに多くのことを約束して、ウィリアムズに残ってくれと懇願した。それから僕には多くの腹の立つ出来事が起こり始めた。No.1のはずの僕はアクティブ・ライド・サスペンションのテストドライバーに成り下がってしまった。サス開発のテスト走行を全てこっちにやらせて、もう一人はレースだけに集中してて良いなんてやり方は承服できない。87年もその状況は変わらなくて、1987年ハンガリーグランプリで泊まっていたホテルの、フランクの部屋に”来季はロータスでNo.1として走ります”と書いた紙をドアの下から滑り込ませた。これからはマンセルの為のチームを自由に作ればいいさ。この年の最後に僕は3回目のワールドタイトルを獲った。マンセルは86年・87年と2回獲り損ねただけだ」とマンセルとの2年間を振り返っている。 中嶋悟 ロータス時代のチームメイトである中嶋悟に対しては「サトルの走りは決して悪くない。みんなが思ってるよりずっとうまい。1988年にはコースも覚えて、中低速コーナじゃ僕の方が速いけど、高速コーナーはサトルの方が速かったくらいだ」。「サトルは1987年に彼だけ全戦で車載カメラが付けられてたのが不幸だった。あのカメラで彼のアクシデントはすべて記録されたから、それを何回もリプレイされて事故を起こす印象が強いんだよ。チームメイトで言えばフランソワ・エスノーなんてスピンだらけで最悪。サトルとは大違いだった」と発言している。 1991年に中嶋が引退を発表した際には「言葉の壁があるから本当の親密なコミュニケーションは取れなかったけど、彼は日本という遠くて文化的にも異なるところからきて精神的にも肉体的にも、ブラジルから欧州に来る以上のつらい思いをしてたんじゃないか。サトルは研究熱心で、ハンガロリンクのような難しいサーキットではどうしたらよいのか?と意見を交換したのが印象深いし、アドバイスを求められれば彼には答えてあげたくなるんだよ。真面目で控えめなドライバーだった」と労うとともに、「いつも控えめで、人に嫌われてでもアグレッシブに自分を主張しないそのポリシーがレーサーとしては欠点となった」と評している。 アレッサンドロ・ナニーニ 前述の通りピケ自身が喫煙者であり、同じくスモーカーであったナニーニとはベネトンで良好な関係を築いた。そのナニーニがヘリコプター事故で右腕を切断する重傷を負った際には見舞いにもかけつけており、直後の開催であった日本GP決勝グリッド上のコクピット内から衛星中継でナニーニの入院している病院に向けて激励メッセージを送った。 ナニーニのヘリコプター事故から1年半後、今度はピケがインディ500の事故で両足複雑骨折の重傷を負った際、ナニーニはピケに「君の腕と僕の脚があれば、トップドライバーさ」との見舞い電報を送ったという。
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