ドライバーたちのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「ドライバーたちのその後」の解説
メルセデスチーム所属のドライバーたちは多かれ少なかれレース中の事故で怪我を負っていたことから、ブラウヒッチュとラングは兵役不合格となり、戦争が始まっても従軍することはなかった。 カラツィオラは1933年の事故で負った怪我により足が不自由であり、戦時中は1920年代から居住していたスイスで隠居生活を送った。資産のほとんどをドイツに置いていたカラツィオラは資産の国外持ち出し禁止措置を受けることになり途方に暮れるが、ダイムラー・ベンツの取締役会会長であるキッセルはカラツィオラをダイムラー・ベンツの社員扱いとし、重役待遇の年金を送り続けることでそれまでの貢献に報いた。一方、ナチス政権下のドイツ政府は戦時下に国外に住んでいるカラツィオラに支出することを問題視し、NSKKは1942年4月にダイムラー・ベンツに対して支払い停止命令を出した。ノイバウアーはカラツィオラが戦前に文字通り命がけでドイツに貢献したことを主張して命令の撤回を求めたが、抗議が聞き入れられることはなかった。 ドイツが敗戦すると、戦前のレース活動でナチス政権に協力していたことを咎められ、ドライバーや一部の関係者たちは連合国によって数週間から数か月に渡って拘束されて調査を受けることになるが、協力者として罰せられた者はいなかった。
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