「宴のあと」裁判とは? わかりやすく解説

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「宴のあと」裁判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 16:20 UTC 版)

宴のあと」の記事における「「宴のあと」裁判」の解説

三島は、日本最初プライバシー侵害裁判被告となった。もの珍しさから、「プライバシー侵害」という言葉当時流行語となった1961年昭和36年3月15日、元外務大臣東京都知事候補有田八郎は、三島の『宴のあと』という小説自分プライバシー侵すのであるとして、三島出版社である新潮社相手取り損害賠償100万円と謝罪広告求め訴え東京地方裁判所起こした主任弁護士森長英三郎田中伸尚一粒の麦死して参照)。 有田八郎から訴えられた際に三島は、『宴のあと』について、〈私はこの作品については天地恥じない気持ち持っている〉と主張し、〈芸術作品としても、言論のせつどの点からも、コモンセンスの点からも、あらゆる点で私はこの作品自信持っている〉と述べている。翻訳者ドナルド・キーン宛ての手でも、〈この訴へには絶対に勝つ自信あります〉と語っていた。ちなみに作品が『中央公論』に連載され前には、〈何とかチャンと良識背いたものが書ければ、と念じてゐる〉とも述べ、〈姦通の話を書いても、殺人の話を書いても、どこか作家良識臭がにじみ出てしまふ現代に、せい一杯抵抗できればよいが〉と抱負語っていた。 プライバシー裁判においてなされた三島による『宴のあと』の主題説明は以下のようにまとめられている。 人間社会一般的な制度である政治人間普遍的な恋愛とが政治の流れのなかでどのように展開し変貌し曲げられ、あるいは蝕まれるかという問題いわば政治恋愛という主題かねてから胸中温めてきた。それは政治人間的真実との相矛盾する局面恋愛においてもっともよくあらわれると考え、その衝突にもっとも劇的なものが高揚されるところに着目したもので、1956年戯曲鹿鳴館」を創作した頃から小説としても展開したいと考えていた主題であった。(中略)(有田八郎の)選挙際し夫人人間的情念真実をその愛情にこめ選挙運動活動したにもかかわらず落選したこと、政治恋愛矛盾相剋がついに離婚に至らしめたこと等は公知事実となっていた。(中略)ここに具体素材得て本来の抽象的主題背反矛盾するものを整理排除し主題の純粋性を単純、明確に強調できるような素材のみを残し、これを小説外形とし、内部には普遍的妥当性のある人間性のみを充填したもので、登場人物恋愛に関係ある心理描写性格描写情景描写などは一定の条件下における人間の心理反応法則性もとづき厳密に構成したのである。 — 「被告等の積極主張」(「『宴のあと事件判決裁判は、「表現の自由」と「私生活みだりに明かされない権利」という論点進められたが、1964年昭和39年9月28日東京地方裁判所判決出て三島側は80万円損害賠償支払い命じられた(ただし謝罪広告の必要はなし)。このときに伊藤整傍聴していた。三島は、芸術的表現の自由原告プライバシー優先する主張したが、第一審東京地裁石田哲一裁判長判決において以下の論述出した。 「小説なり映画なりがいかに芸術的価値においてみるべきものがあるとしても、そのこと当然にプライバシー侵害違法性阻却するものとは考えられない。それはプライバシー価値芸術的価値基準はまった異質のものであり、法はそのいずれが優位に立つものとも決定できないからである。たとえば、無断特定の女性裸身をそれと判るような形式方法表現した芸術作品が、芸術的にいかに秀れていても、通常の女性感受性として、そのような形の公開欲しない社会では、やはりプライバシー侵害であって違法性否定することはできない石田裁判長は、「言論表現の自由絶対的なものではなく、他の名誉、信用プライバシー等の法益侵害しないかぎりにおいてその自由が保障されているものである」との判断示し、「プライバシー権侵害要件次の4点である」と判示した。 私生活上の事実、またはそれらしく受け取られるおそれのある事柄であること 一般人感受性基準として当事者立場立った場合公開欲しないであろう認められるべき事柄であること 一般の人にまだ知られていない事柄であること このような公開によって当該私人現実に不快や不安の念を覚えたこと 『宴のあと』がプライバシー侵害該当するという判決について三島は、〈言論全体ひいては小説といふものを手にする読者全体〉に対する〈侮蔑〉であり、〈見のがしがたい非論理的な帰結〉だとして、〈悪徳週刊誌退治といふ「社会的正当性」のために、文学作品利用されおとしめられ、同一水準に扱はれた、もつとも非文化的な事例〉だとして抗議した。 この判決の底には明治政府以来芸術対す社会的有効性による評価芸術文学)の自律性蔑視芸術全体性軽視その他の近視眼的見解横溢していゐる。文学作品その他として評価せず、部分を以てワイセツだとか、人を傷つけたとか言つて判断するのは、チャタレー裁判以来少しもかはらぬ通弊であるが、今度裁判では、純民事訴訟見地から、財産権人格権保護立場にのみ立つて、判決したといふ遁辞があるかもしれない。 — 三島由紀夫「私だけの問題ではない――小説宴のあと判決抗議する三島側は10月控訴するが、この翌年1965年昭和40年3月4日有田死去したため、1966年昭和41年11月28日有田遺族三島新潮社との間に和解成立して無事に無修正出版できることになった三島一連の経過振り返って、〈日本最初プライバシー裁判としては「宴のあと事件は、まことに不適切な、不幸な事件であつた〉としている。 もしこれが、市井一私人が、低俗な言論暴力によつて私事あばかれケースであつたとしたら、プライバシーなる新し法理念は、どんなに明確な形で人々の心にしみ入り、かつ法理論的に健全な育成見たことであらう。原告被告双方にとつて、この事件は、プライバシーの権利なるものを、社会的名声私事芸術作品文化財価値とその批評的側面などの、さまざまな微妙な領域諸問題へまぎれ込ませてしまつた不幸な事件であつたといふ他はない。本来、プライバシーなどといふ、近代社会明快なプラクティカル概念は、こんな微妙で複雑な文化的価値較量問題などをはらみやうもなく、一方で、私はまたしばしば、日本の風土や風俗習慣と、継受法概念との、抜きがたい違和をも感じたのであつた。(中略)しかしこのたび和解によつて、五年間ヤミ埋もれてゐた作品が、再び日の目を見て、誠実な読者公正な判断委ねられる機会を得るといふことは、口につくせない喜びである。 — 三島由紀夫「『宴のあと事件終末当初、この件で友人である吉田健一父親吉田茂外務省時代有田同僚であった)に仲介依頼したもののうまくいかず、吉田健一有田側に立った発言したため、のちに両者絶交に至る機縁になったといわれている。 三島は、自決1週間前に行った古林尚との対談三島由紀夫 最後の言葉」において、この裁判裁判というものを信じなくなった語っている。それは、法廷弁護人から「三島署名入りで本(有田八郎著『馬鹿八と人はいう』)をやったか」と質問出たとき、有田が「とんでもない、三島みたいな男にだれが本なんてやるもんか…(後略)」と答え弁護人が、「もしやっていらっしゃったら、ある程度三島作品認めたか、あるいは書いてもらいたいというお気持があったと考えてよろしいですね?」と念押しされ、「そのとおりですよ」と、断固として本は三島渡していないと主張したが、三島有田から、「三島由紀夫様、有田八郎」と署名された本をもらっていた。それを三島側が提示すると、傍聴席驚いたという。 三島は、「宴のあと」裁判が陪審制度だったら自分勝っていただろうと振り返って述べている。裁判所の判断は、有田老体であるとか、社会的地位名声配慮して有田有利に傾き民事裁判にもかかわらず刑事訴訟のように、被告は「三島」と呼び捨てにし、ときどき気がついて「さん」付けになるものの、ほぼ呼び捨てだったという。

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