ほうじょう‐うじやす〔ホウデウうぢやす〕【北条氏康】
北条氏康
北条氏康(ほうじょう うじやす) 1515~1571
◇父:北条氏綱 室:今川氏親女、松田氏女 子:北条新九郎、氏政、氏照、氏邦、氏規、六郎、(佐野)左衛門佐氏忠、右衛門佐氏光、氏秀(上杉景虎)
父死後、相模・北条氏当主となる。1546年来襲した関東公方足利氏、山内扇谷上杉両氏らの約8万の連合軍を、周到な準備の上わずか8千の兵で奇襲を掛けてこれを敗り(河越の野戦)、武名を響かせた。又、甲斐・武田氏、駿河・今川氏と三国同盟を結び(善徳寺の会盟)、関東において圧倒的優位を築いた。1561年関東管領を譲られた越後・上杉謙信が11万の兵で来攻し、小田原城を囲むが、氏康は正面決戦を避けて1ヶ月半の籠城戦で撤退に追い込んだ。その後も謙信は再三出兵してくるが、その度にうまく避けて、謙信撤退後すぐに旧領を復した。その後武田氏の今川氏攻略によって三国同盟が破れると、今度は謙信と結んでいる。又、民政にもその手腕を発揮し、税制の整備、貨幣の統一、検地の施行等に実績を残すと共に、文化人としても和歌に優れた素養を見せる等、文武に秀でた名将であった。56歳で没。
北条氏康
北条氏康
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 00:33 UTC 版)
相模の戦国大名。関東地方に広大な領土を持ち、これを増やすことだけに異常な執念を燃やす。ひょんなことから頓死し、北条家は無能な長男(ただし、思考は比較的まとも)の氏政に継がれる。
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北条氏康(ほうじょう うじやす)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 00:59 UTC 版)
「軒猿 (漫画)」の記事における「北条氏康(ほうじょう うじやす)」の解説
小田原北条氏三代当主。風魔の主君。信玄によれば、「天下無双の覇王」と名高く、経済力・政治力・戦力・人望全てを兼ね備えている。すでに当主の座を息子の氏政に譲っているが、未だ隠居する気はない。
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北条氏康(ほうじょう うじやす)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:27 UTC 版)
「センゴク外伝 桶狭間戦記」の記事における「北条氏康(ほうじょう うじやす)」の解説
通称は左京太夫。相模の戦国大名。今川義元・武田晴信と同盟を結ぶ。守護大名型戦国大名である義元が国人型戦国大名である祖父とよく似ていることに驚く。後に本編にも登場する。
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北条氏康
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
北条家当主。史実では「相模の獅子」と渾名されており、ライオンを思わせる風貌をしている。
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北条氏康(ほうじょう うじやす)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)
「センゴク」の記事における「北条氏康(ほうじょう うじやす)」の解説
通称は左京大夫。後北条家三代目当主。父・氏綱よりも更に端正な顔立ちで思慮深すぎる性格で、「臆病で悩んでばかり」と揶揄されることもある。口癖は思案時の「うーむ」や「ふーむ」。
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北条氏康
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:29 UTC 版)
河越夜戦から始まる。三国同盟を結んだ今川義元から提案された三家同時の上洛を目指す。
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北条氏康
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 10:21 UTC 版)
北条氏の当主。「深沈にして大度あり」と評される名将で、小田原を拠点に北条氏の勢力を拡大し、関八州に覇を唱えた。
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北条氏康(ほうじょう うじやす)
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「炎の蜃気楼」の記事における「北条氏康(ほうじょう うじやす)」の解説
景虎の実父。謙信と同じように転生も換生もせず土地神となり、龍の姿に化身している。
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