関長尚とは? わかりやすく解説

関長尚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 07:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
関長尚
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 生年不詳
死没 天正12年(1584年
別名 加平次、可平次(通称)、盛清
氏族 関氏
父母 父:関成重
兄弟 成政長尚、女(今西春主室)
テンプレートを表示

関 長尚(せき ながなお)は戦国時代武将

生涯

関成重の次男として尾張国一宮で生まれる。天正3年(1575年)11月、織田氏の家督を継いだ織田信忠に仕える[1]

天正10年(1582年)の甲州征伐には信忠側近として従軍し、武田勝頼の首級を信忠の使者として織田信長に届ける役目を務め、[2]その恩賞として信長から馬と金百両を受領したという[3]

本能寺の変後は織田信雄付きの家臣として成政と共に出仕するが、小牧・長久手の戦いの際に成政は森長可の要請を受けて羽柴秀吉へと寝返ってしまう。しかし、長尚は秀吉の元へは走らず、そのまま信雄への出仕を続けようとするが信雄の成政への怒りは深く、長尚は謀叛の疑い有りとして捕縛され処断された。

脚注

  1. ^ 『寛政重修諸家譜』
  2. ^ 『信長公記』
  3. ^ 『甫庵信長記』




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「関長尚」の関連用語

関長尚のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



関長尚のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの関長尚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS