北条氏常盤亭跡とは? わかりやすく解説

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北条氏常盤亭跡

名称: 北条氏常盤亭跡
ふりがな ほうじょうしときわていあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 神奈川県
市区町村 鎌倉市常盤
管理団体
指定年月日 1978.12.19(昭和53.12.19)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S53-12-025[[北条氏常盤亭跡]ほうじょうしときわのていあと].txt: 鎌倉の七切通りの一つである大仏切通史跡)の北方台地西北方に廻り切った一帯は「常盤」とよばれ、現在もなお大部分水田及び畑地である奥深い谷戸いくつも南に向かって開いている。この「常盤」の地が、鎌倉時代北条氏一族中の有力者所領とし、その邸宅構えていた『吾妻鏡』建治三年記』『新後撰和歌集』に見える「常葉」「常磐」「常盤」の地であることは疑いない。そして、この地の東半分の谷奥には、現に小字御所の内」の地名残り、『新編相模国風土記稿』をはじめ近世地誌はいずれ北条義時の子執権連署つとめた北条政村常盤邸宅営まれたと詳説し、また西半分には小字「殿入」という地名残り、同『風土記稿』は政の甥で連署つとめた北条義政邸宅があったという伝え掲げている。勿論、政邸ににせよ、義政邸にせよ、現在の特定所を明示することは文献的不可能であるが、他の切通にも北条氏有力な一族邸宅配した事実とも考えあわせると、この鎌倉防衛上の要地である常盤の地に政時村や時茂、時範、範貞等のいわゆる常盤一族邸宅営まれたことは確実なのである
 現在の常盤の地は、谷戸多く幾つかの段差人工的に造成されたと思われる平坦地区切られており、「タチンダイ(館の台)」とよばれる谷戸奥地には表面観察だけでも2、3保存度のよい「やぐら」が見られ、その西隣の「法華堂」とよばれる谷土の奥には明らかに方形岩盤切り開いた空間門扉痕跡があり、更にこれらの谷戸の裏山には堅堀腰曲輪など城塞造成の跡も見受けられる。また昭和52年、「御所の内谷戸行なわれ宅地造成事前発掘調査結果、5間×3間の礎石有する東西建物跡その他の柱穴溝・井戸等を検出するとともに鎌倉時代のものと推定される上質石製硯・金銅水滴滑石印判・骨製骰子・青(白)磁片等の注目すべき遺物出土したが、このような発掘調査所見によっても、今後この常盤の地一帯発掘調査寄せ期待大きい。
 北条氏常盤亭跡は、もとより解明すべき課題山積するが、従来一例明らかにされていない北条氏邸宅の実態を知るために貴重な遺跡であるばかりでなく、ひいては鎌倉時代中期政治史文化史考え上で欠くことのできない重要な遺跡である。
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史跡:  北山十八間戸  北山古墳  北斗遺跡  北条氏常盤亭跡  北条氏邸跡  北江間横穴群  北畠具行墓

北条氏常盤亭跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 08:48 UTC 版)

北条氏常盤亭跡(ほうじょうしときわていあと)は神奈川県鎌倉市常盤にある国指定文化財常盤一族の屋敷跡。




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