笠原照重とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 笠原照重の意味・解説 

笠原照重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 03:13 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
笠原 照重
時代 戦国時代室町時代後期)- 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正9年12月19日1582年1月13日
改名 千松(幼名)→ 照重 → 全罷(法名
別名 平左衛門
主君 北条氏康氏政
氏族 藤姓笠原氏
父母 父:笠原康勝、母:不詳
兄弟 義兄:笠原政晴(実兄とする説や他の笠原家を継いだ人物とする説有り)
重政
テンプレートを表示

笠原 照重(かさはら てるしげ)は、戦国時代武将

生涯

生年は不詳。笠原康勝の子とされる[1]

後北条氏家臣小机衆の一人であり、武蔵小机師岡と西郡柳下で108貫文御蔵島20貫文を給されていた[1]

天正9年(1581年12月19日武田勝頼に内通した戸倉城主・笠原政晴に攻められ伊豆戸倉で討ち死にした[1]

子孫

嫡子の笠原重政は後に徳川氏に属して天正19年(1591年都筑郡台村を領し、子孫は200石の旗本として続いた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 『戦国人名事典 コンパクト版』、239ページ上段左

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「笠原照重」の関連用語

笠原照重のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



笠原照重のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの笠原照重 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS