只見川とは? わかりやすく解説

ただみ‐がわ〔‐がは〕【只見川】

読み方:ただみがわ

福島県西部北流する川。尾瀬発し阿賀野川合流する長さ137キロ。奥只見田子倉など発電用ダムが多い。


只見川

読み方:タダミガワ(tadamigawa)

所在 群馬県新潟県福島県

水系 阿賀野川水系

等級 1級


只見川

作者曾野綾子

収載図書昭和文学全集 25
出版社小学館
刊行年月1988.4


只見川

作者曽野綾子

収載図書戦後短篇小説再発見結婚エロス 13 男と女
出版社講談社
刊行年月2003.8
シリーズ名講談社文芸文庫


只見川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 02:34 UTC 版)

只見川
只見川と蒲生岳JR会津塩沢駅(寄岩橋)付近より
水系 一級水系 阿賀野川
種別 一級河川
延長 145.2 km
平均流量 -- m3/s
流域面積 2,792.0 km2
水源 尾瀬沼
福島県群馬県
水源の標高 -- m
河口・合流先 阿賀川喜多方市
流域 日本
群馬県新潟県福島県

テンプレートを表示
第三只見川橋梁を渡るC11形蒸気機関車(1973年9月)
会津蒲生岳より見る只見川と寄岩橋。
奥只見湖より更に上流部の只見川。新潟・福島県境の金泉橋にて
阿賀野川水系最大の支流只見川源流部

只見川(ただみがわ)は、福島県会津地方を中心に流れる阿賀野川水系一級河川である。阿賀野川水系最大の支川であり本川である阿賀川の上流部よりも流路が長い。

地理

群馬県と福島県の境界にある尾瀬沼に源を発し尾瀬を西へ流れる。いくつかの滝を経て新潟県と福島県の県境を北へ流れて福島県南会津郡只見町の田子倉に至るがこの付近までが上流部である。ここから北東へ向きを変えわずかながらの平地と川辺の里山景観を作りながら伊南川野尻川滝谷川を合わせ、JR只見線と並行するように流れて会津坂本駅付近至るがこの辺までが中流部である。ここから下流は七折峠に遮られるよう北に流れを変え、福島県喜多方市山都町三津合で阿賀川合流する。

流域の尾瀬沼から田子倉附近までは銀山平と大津岐以外には集落がない、人跡まばらな土地となっている。銀山平は新潟県魚沼市に属し、江戸時代に銀の採掘により栄えた集落であるが奥只見ダムの完成により大部分が水没している。大津岐は南会津郡檜枝岐村に属し、只見川に大津岐川が合流する地点にある集落で、奥只見ダムの南にあたる。田子倉附近からは、ほかの川とも合わさって若干の平地をなしているため、比較的大きな集落も存在する。雪解けの豊富な水量によりいくつかの渓谷を形作っておりライン下りも盛んである。

2021年(令和3年)10月29日、福島県の只見柳津県立自然公園越後三山只見国定公園に編入された。只見川中下流部の周辺地域も同時に国定公園に編入されることになった[1])。

流域の自治体

河川施設

流域は主に越後山脈に属しているため起伏が激しく落差が非常に大きい。さらに流域は日本でも指折りの豪雪地帯であるため水量が豊かであり、このため只見川は非常なエネルギーを隠し持っているといえる。かつては下流の町々で増水時に氾濫を起こすなどしたが、太平洋戦争1951年(昭和26年)に国土総合開発法に基づく只見特定地域総合開発計画の対象地域に指定された後は電源開発がすすみ、水力発電によりこのエネルギーを有効に活用できるようになった。それまでにも水力発電所の計画は東京電燈や日本発送電により行われていたが、電源開発東北電力等により田子倉より下流に相次いで只見ダム、滝ダム本名ダム、上田ダム、宮下ダム、柳津ダム片門ダムといった多数のダムが完成し、上流には田子倉ダム奥只見ダム、大鳥ダムという特に大きなダムが作られている。

ただしこれらのダムは何れも発電専用ダムであり、治水ダム多目的ダムは全く建設されていない。かつて1960年代には支流の伊南川に大桃ダムという多目的ダムが建設省によって計画されてはいたが、立ち消えになっている。

支川

  • 銀山川
  • 滝谷川
    • 東川
  • 大谷川
  • 沼沢川
  • 入原川
  • 野尻川
    • 玉川
      • 見沢川
        • 畑沢川
        • 輪ノ沢川
    • 柳沢川
  • 風来沢川
  • 山入川
    • 打越川
    • 大岐川
  • 塩沢川
  • 小塩沢川
  • 浦生川
  • 叶津川
  • 伊南川
    • 楢戸川
    • 小川沢川
    • 後田川
    • 初瀬川
    • 黒谷川
      • 大白沢川
      • 小幽沢川
      • 大幽沢川
    • 布沢川
      • 太田川
    • 野々沢川
    • 塩岐川
    • 下山沢川
    • 富沢川
    • 深沢川
    • 鹿水川
    • 小屋川
    • 久川
    • 小滝川
    • 白沢川
    • 宮沢入川
    • 舘岩川
      • 西根川
      • 湯の岐川
      • 鰌沢川
      • 伊与戸川
      • 保城川
      • 自源寺川
    • 下の沢川
      • 上の沢川
    • 舟岐川
  • 田の口沢川
  • 白戸川
  • 柚沢
    • 南沢
    • ミノコクリ沢
  • 大津岐川
    • 一の沢
    • 滝沢
    • 大ヨッピ川
  • ヨッピ川
    • 猫又川
  • 北ノ又川
    • 中ノ岐川
    • 中荒沢川

交通

並行する交通

JR只見線会津坂本駅(河沼郡会津坂下町)附近から田子倉駅(南会津郡只見町、現在は廃止)附近までこの川に沿って走り、国道252号も河沼郡会津坂下町・柳津町・大沼郡三島町・金山町・南会津郡只見町の内でこの川に沿っており、奥会津とよばれる秘境地帯である。

なお檜枝岐村と只見町(奥只見ダム - 大鳥ダム - 田子倉ダム)の間は只見川に並行する道路が一切ない人跡未踏の地(途中にある大鳥ダムは一般人通年立ち入り禁止)であるため、檜枝岐村と只見町は陸続きでありながら直接の行き来が不可能となっている(南会津町経由または新潟県魚沼市経由で大きく迂回する形。但し魚沼市経由ルートは冬期閉鎖)。

橋梁

下流より記載

ギャラリー

脚注

  1. ^ 「只見柳津」が国定公園に 会津の県立公園、21年秋にも編入へ 2021年7月10日閲覧、福島民友新聞
  2. ^ 川を渡る橋07 - 中日本建設コンサルタント
  3. ^ せせらぎ かわら版 No.6 -魚沼と尾瀬を結ぶ 国道352号金泉橋 (PDF) - 新潟県. (2013年11月)、2018年7月7日閲覧。

関連項目

外部リンク



只見川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 08:50 UTC 版)

只見特定地域総合開発計画」の記事における「只見川」の解説

計画策定された後最初に完成したのは沼沢沼発電所であった戦前から計画されていたこの発電所日本発送電宮下発電所建設によって一旦中止された。だが戦後1949年1月より再開され東北電力継承1952年11月28日より発電開始された。沼沢沼発電所カルデラ湖である沼沢湖上部調整池既設宮下ダム下部調整池として最大43600キロワット発電する当時揚水発電としては日本最大世界で屈指の揚水発電所呼ばれた沼沢沼発電所続いて宮下ダム下流柳津ダム柳津発電所出力5万キロワット)が1年6ヶ月という突貫工事1952年完成同時に建設開始された只見川最下流部の片門ダム片門発電所出力38000キロワット)がやや遅れて1953年6月に運転を開始した水利権東京電力係争した本名ダム本名発電所出力78000キロワット)は1954年6月より一部運転を開始し1959年昭和34年)からは全出力運転を開始した本名発電所東北電力管理する只見川流域一般水力発電所の中では完成当時最大出力誇った上田ダム上田発電所出力63900キロワット)は1954年3月より運転を開始し1960年昭和35年)に発電機増設し現在の出力になったその後宮下柳津片門各発電所出力増強している。 電源開発担当した只見川上流部ではまず田子倉ダム先陣切った事業着手補償問題経て1955年昭和30年)にダム本体工事着手し1959年には貯水開始段階的に発電能力増強しながら工事進め1961年11月に全事業完成させた。出力38キロワット近年まで日本最大出力を誇る一般水力発電所であった続いて田子倉ダム下流16キロメートル地点滝ダム・滝発電所出力92000キロワット)を1959年7月着工田子倉発電所放流する貯水して下流水量一定に保つ逆調整池としての機能持ち1961年12月完成した。そして只見川最大奥只見ダム厳し自然と闘いながら1953年より工事開始奥只見シルバーラインなどの輸送用道路建設続いて本体工事着手1962年昭和37年6月9日完成した出力36キロワット田子倉発電所に次ぐ日本第二位規模を誇る発電所であった続いて着手されたのは奥只見ダム直下流に建設され大鳥ダム大鳥発電所出力95000キロワット)で、当初の計画にあった前沢ダム規模大幅に縮小した形で建設され1964年昭和39年12月完成した最後に着手されたのが大津岐(おおつまた)発電所出力38000キロワット)で、当初尾瀬ダムから放流される河水下流影響するのを抑制するための逆調整池として、またOCI勧告将来尾瀬ダム大規模に再開発された後は揚水発電下部調整池として只見川本流白戸川合流点付近尾瀬奥只見ダム中間建設される予定大津ダムよりトンネル導水して発電後、奥只見湖に注ぐ支流大津岐川放流するという計画であった。しかし尾瀬ダム建設対す反対運動激化によって単独での開発変更されダム地点大津岐川移動させて1965年昭和40年)より工事開始し1967年昭和43年12月に運転を開始した当初重力式であった大津ダム建設変更地点岩盤堅固でなかったことや資材運搬コストが高いことなどからロックフィルダム型式変更コスト縮減合理化目的アスファルトダム上流部敷いてを遮る、「アスファルトフェイシングフィルダム」と呼ばれる型式日本初め採用したことが特徴である。 ここに只見特定地域総合開発計画に基づき計画され水力発電事業は一応の終結見た。しかし奥只見ダムでは117名、田子倉ダムでは43名と労働災害によって殉職した従事者多く厳し自然と険阻な峡谷という悪条件の中で首都圏東北地方電力供給のために命を散らした人がいたことも、忘れることの出来ない事実である。

※この「只見川」の解説は、「只見特定地域総合開発計画」の解説の一部です。
「只見川」を含む「只見特定地域総合開発計画」の記事については、「只見特定地域総合開発計画」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「只見川」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



只見川と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「只見川」の関連用語

只見川のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



只見川のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの只見川 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの只見特定地域総合開発計画 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS