只見川分流案
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詳細は「只見特定地域総合開発計画」を参照 黒又川を含む魚野川流域は、新潟県でも屈指の豪雪地帯である。冬季は数メートルに及ぶ積雪があり、六十里越(国道252号)や八十里越(国道289号)は容易に寸断されていた。だがこの雪は春になると大量の雪融け水となり、穀倉地帯である越後平野を潤していた。魚野川流域は山岳地帯が多く、上流部は険しく至る所に落差の大きい渓谷を形作っていた。こうした気候的・地形的背景は水力発電に最も好都合であり、三国山脈を水源とする魚野川流域や只見川流域は明治時代から水力発電計画が練られた。1926年(大正15年)に黒又川に黒又ダムが建設され、魚野川流域でもダムを用いた水力発電が計画された。1939年(昭和14年)の電力管理法によって発足した日本発送電も引き続き魚野川流域の開発を行い、1941年(昭和16年)には破間川に藪神ダム(重力式。23.0メートル)が完成している。 戦後、只見川流域の水力発電開発は1947年(昭和22年)に日本発送電東北支店が「只見川筋水力開発計画概要」を発表することで本格化した。また日本発送電関東支店は尾瀬原ダム計画を根幹とし、利根川への分水を目的とした尾瀬分水案を発表。経済安定本部と商工省が中心となって組織した「只見川・尾瀬原・利根川総合開発審議会」において検討対象となった。翌1948年(昭和23年)には東北支店と福島県が只見川本流案を「只見川筋水力開発計画概要」をベースにして策定、只見川流域の一貫開発を基本とした水力発電計画を提示するが、同時期新潟県も独自の水力発電計画案を発表した。 これは只見川分流案と呼ばれるもので、只見川本流に計画された奥只見ダムと田子倉ダムからトンネルを通じて信濃川水系に分水するという計画であった。奥只見の水は魚野川支流の佐梨川に、田子倉の水は同じ魚野川支流の破間川に分水して水力発電を行い、発電に使用した水を信濃川に放流することで新規開墾に必要な灌漑(かんがい)用水を供給して当時日本政府が最重要課題としていた食糧増産と電力開発を同時に達成させるというものである。水量の豊富な只見川の河水利用を巡り河川管理者である新潟県は「分流案」、福島県は「本流案」・群馬県は「尾瀬分水案」を推し三つ巴の対立を繰り広げたが、1951年(昭和26年)12月に只見特定地域総合開発計画が策定され政府の依頼を受けたアメリカ合衆国海外技術調査団(OCI)の実地調査が行われた結果、費用対効果など総合的な観点で「本流案」の採用が1953年(昭和28年)に決定した。ところが「分流案」を強力に推進していた岡田正平新潟県知事以下新潟県当局はこの決定に猛反発。裁定を下した第3次吉田内閣に対し揺さぶりを掛けるなど中央政界を巻き込んだ問題に発展した。
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只見川分流案(流域変更案)
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「只見特定地域総合開発計画」の記事における「只見川分流案(流域変更案)」の解説
只見川分流案(流域変更案)とは新潟県が発表した計画案である。最大の特徴は只見川の水を越後駒ヶ岳を隔てた信濃川水系に分水し、水力発電を行うと同時に有数の穀倉地帯である越後平野の田畑に灌漑用水を供給するという多目的河川開発計画である。 この計画案でも奥只見ダムと田子倉ダムを計画の中心に据えているが、本流案との違いは奥只見・田子倉の両ダムからトンネルを通じて信濃川の支流・魚野川流域に導水することである。当初の案では奥只見ダムから魚野川の支流である佐梨川、田子倉ダムから同じく魚野川の支流である破間川(あぶるまがわ)にそれぞれ分水し、佐梨川筋には湯之谷第一・第二発電所(合計出力60万キロワット)を、破間川筋には破間川・黒又川合流点に五味沢ダムを建設して入広瀬発電所(出力12万キロワット)・栃尾発電所(出力26万キロワット)を建設。さらにここからトンネルで刈谷田川へ導水して長岡発電所で発電を行った後に信濃川へ放流するという計画であった。しかし「只見川・尾瀬原・利根川総合開発調査審議会」において湯之谷第一・第二発電所建設予定地点が発電所を建設するだけのスペースがないほか、ダム建設地点の地質問題、長岡発電所導水トンネル建設地点が油田・水田地帯であることなど問題点が経済安定本部や商工省から続々指摘された。 このため新潟県は計画を修正して、奥只見ダムから分水した水は建設地点を変更した湯之谷第一・湯之谷第二発電所(合計出力23万3500キロワット)経由で、田子倉ダムから分水した水は建設地点を変更した破間川の五味沢ダムと小出発電所(出力7万キロワット)へ送水。ここで両ダムの水が合流し小出発電所からはさらに現在の長岡市、妙見堰付近に建設する妙見発電所(出力5万9000キロワット)に送水され、発電した水を信濃川へ放流するとした。導水に使用するトンネルの総延長は約40キロメートルにも及び、青函トンネルに匹敵する長大なトンネルであった。この他当初の案では考慮されていなかった只見川本流の開発も行われ、滝・本名・上田・舘岩(伊南川)の各発電所を建設する。滝と本名に関しては何れかの地点を選択して高さ約90メートル・有効貯水容量3億立方メートルのダムを、舘岩地点には1億2000万立方メートルのダムを建設する。さらに檜枝岐発電所などの新設や只見川下流にある既存の発電所の出力増加も行うとした。 この案で見込まれる総出力は134万キロワットであり、只見川の豊富な水を発電後に信濃川に融通することで農地面積を拡大させ、当時喫緊の課題であった食糧増産を図ることを目的とした。以下に計画案を示すが、発電所計画の詳細については不明な部分が多いので、信濃川流域への分水を利用する発電所とダム計画のある発電所を掲載する。 河川発電所認可出力(kW)ダム高さ(m)貯水容量(千m²)備考只見川佐梨川 湯之谷第一 172,000 155.0 560,000 奥只見ダム分水 只見川佐梨川 湯之谷第二 61,500 只見川破間川 小出 70,000 104.0 260,000 田子倉ダム分水 破間川信濃川 妙見 59,000 不明 108,000 只見川 滝本名 不明 90.0 300,000 何れかを選択 伊南川 舘岩 不明 不明 120,000 新潟県はこの計画案によって只見川と信濃川の間にある高落差を有効に利用できることから、大規模な水力発電が行えるほか信濃川流域の穀倉地帯にかんがい用水を供給することで、当時政府が最重要課題に挙げていた食糧増産と電力開発を同時に実施できて一挙両得であると主張した。なお、新潟県の案と似通ったものに電源開発調査会案がある。この案では有効貯水容量6億トンに規模を拡大した尾瀬原ダムによる揚水発電が加わっている。その他は新潟県の案とほぼ同様である。ただし既存の発電所出力の増強と、上野尻・揚川・内川・辰巳山各発電所の新設は行わない。
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