1974年式
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この年、連邦政府の衝突安全基準が改正され、リアバンパーにも5 mph (8.0 km/h)での衝突に耐えることが要求されるようになった。そのため、それまで全てのトリノに装着されていたリアバンパーとテールライトパネルは全面改修が必要となった。新しいリアバンパーは大きな長方形形状となり、取り付け位置もより低い位置に変更され、1972-73年式までのロールパン形状のバンパーではなくなった。テールライトは幅が狭く正方形に近い形状のものが両端に配置されるようになり、リアのサイドマーカーライトが必要なくなった。燃料タンクの給油パイプもバンパーの変更に併せて移設された。給油口のアクセスドアはトランクロック直下(リアバンパー直上)のリアパネル中央に配置され、その下にナンバープレートが取り付けられるデザインとなった。1974年式グラン・トリノ・ブロアムは、リアパネルにはテールランプレンズがパネル全面に配置された。しかし給油口が存在するためパネル中央部のみは発光しなかった。ブロアムとスクワイアには新たにフロントグリル上方にフードクレストマークも装着された。 1974年式グラン・トリノは前面形状も変更され、新しいフロントグリルは1973年式と形状こそ似ていたが、グリルの仕切りは8つの縦長の長方形が並ぶデザインに変更され、網目がより細かくなった。エンブレムの形状も変更され、グリルの左側に配置されるようになった。パーキングランプはグリル両端に縦長の長方形形状のものが内蔵された。フロントバンパーは1973年式と比べて中央が山形に尖ったような形状となり、バンパーガードも中央寄りに移設された。また、バンパー上のナンバープレートのブラケットは運転席側に移設された。1974年式トリノのベースモデルのフロントフェイスは1973年式とほぼ同じままであったが、フロントバンパーは1973年式グラン・トリノと同じ形状となり、ナンバープレートはバンパー中央に配置された。 1974年式にはいくつかの新しい機能とオプションが追加された。グラン・トリノの2ドアモデルには、1970年代にポピュラーなオプションとして広まりつつあったオペラウインドウが設定され、ブロアムでは標準装備された。1972-73年式までと異なり、全ての1974年式2ドアモデルはリアウインドウが固定窓となっていた。また、より高級性を指向した本皮巻きステアリングホイールや分割式ベンチシート、電動式サンルーフ、クルーズコントロールといった新たな機能も装備された。グラン・トリノのハードトップとセダンには、車体をより長く、より低く見せるためのリアフェンダースカートもオプション設定された。内外のトリムも1974年式では修正を受け、ドアパネルの下部には成型品のロッカーパネルが追加された。ブロアムとスポーツモデルでは更に前後のタイヤとバンパーの間のフェンダーパネル下部にもクロームメッキパネルが追加され、前後バンパー間がクロームメッキパネルで繋がれた外見となった。一方、スクワイアにはこのようなモールディングは設けられなかった。1974年式の全てのモデルには米国連邦政府の新しい安全基準に則り、装着警告及び始動制限機構を内包したインターロック式シートベルトが装備された。この安全装置は短命で、1974年式のみにしか装備されなかった。コンペティションサスは廃止され、唯一選択可能なサスペンションオプションは改良されたヘビーデューティサスのみとなった。このオプションはエリートを除く全てのトリノで選択可能であり、より大きなフロントスタビライザーと、より高レートの前後スプリングで構成された。2ドアと4ドアセダンには更に高容量ショックアブソーバーとリアスタビライザーが含まれていたが、ステーションワゴンではこの二つは含まれなかった。 1974年式トリノはラインナップにいくつかの変更があった。グラン・トリノ・スポーツのファストバックモデルであるスポーツルーフが廃止され、新たにグラン・トリノ・エリートが設定された。グラン・トリノ・エリートは、シボレーの人気車種であるシボレー・モンテカルロに対抗するためにフォードが送り出した車種であり、フォード・サンダーバードの購入までは達し得ない顧客層に対する、エントリーレベルのパーソナル・ラグジュアリーモデルとして、モンテカルロと同程度の価格帯で販売された。フォードはトリノ・エリートを「まったく新しい2ドアハードトップ。サンダーバード風のスタイルと機構を持ちながらも、中型車としての経済性も持つパーソナル・ラグジュアリーモデル」と宣伝していた。トリノ・エリートは厳密にはフォードが宣伝するような「まったく新しい車種」ではなかったが、いくつかの新機構を特色としていた。トリノ・エリートはフロントのボディパネルが一新され、フロントセクションはサンダーバードを意識したスタイルとなった。ヘッドライトは2灯式となり、クロームメッキベゼルが装着された。フェンダー前端も尖った形状となり、先端にパーキングライトが装着された。フロントグリルもより大きくなり前方に大きなアーチを描く形状となった。クォーターパネルとドアはマーキュリー・モンテゴやマーキュリー・クーガーと共通化され、他のトリノとはまったく異なるボディラインが与えられた。テールライトはリアパネル全面を覆う大きなものが装着されたが、中央部は給油口ドアであるため点灯しなかった。トリノ・エリートは351 cu in (5.75 L)の2バルブV8エンジン、3速AT、ラジアルタイヤが標準装備された。内装もラグジュアリー指向のものが用いられ、ビニール張り天井、オペラウインドウ、分割式ベンチシート、ウエストミンスターニット内装、木目調トリムなどが標準装備された。 1974年式はそれまでよりも更に大きく重い車体となった。新しいバンパーも1つの要因であった。全てのボディタイプで5インチ (127 mm)全長が増加し、重量も大幅に増加した。全てのトリノでの大幅な重量と全長の増加により、250 cu in (4.1 L)の直6エンジンはトリノの標準エンジンとしては力不足として廃止された。しかし、チャールトン(en:Chilton Company)とMoter's (Motor Information Systems社)が発行する整備解説書では、市販される新車にはすでに搭載されていないにもかかわらず、依然としてトリノの直列6気筒の整備情報が掲載され続けていた。それは1974年式の幾つかの車体において250 cu in (4.1 L)の直6エンジンが搭載されて組み立てられていたことを示唆しており、実際に2004年の映画版スタスキー&ハッチの赤いグラン・トリノは、1974年式の直6エンジン搭載車を用いて改造が行われた。一方、市販される全てのトリノとグラン・トリノは302V8が新たな標準エンジンに採用され、このエンジンには3速MTが標準トランスミッションとなった。先代と同様に大排気量V8エンジンを選んだ場合には、クルーズOマチック3速ATを必須オプションとして選択される。429 cu in (7.03 L)の4バルブエンジンは、より大きな馬力とトルクを持つ460 cu in (7.5 L)の4バルブエンジンに置き換えられる形で廃止され、このエンジンにはデュアルマフラーが装着された。先代の429エンジンと同様に、1974年式の460エンジンにはC-6型3速ATのみが組み合わせられた。他の全てのエンジンは1973年式よりも出力が若干増加した。351 cu in (5.75 L)コブラジェットエンジンは唯一の高出力エンジン(460 cu in (7.5 L)の4バルブエンジンよりも高出力であった)として継続され、出力は9 hp (6.7 kW)増加し、逆にトルクは22 ft⋅lbf (30 N⋅m)低下した。このエンジンのみ4速MTが選択できたが、このエンジンは2ドアモデルのみのオプションとされていた。折しも1973年秋にはアメリカを始めとする世界各国は第一次石油危機(en:1973 oil crisis)に見舞われており、世の潮流は高性能車に冷ややかな視線を向け始めていた。これはアメリカでも例外ではなく、過剰なまでの大排気量を持ち、大量の燃料を消費してパワーを絞り出すマッスルカーは完全に消費者から見放され始めていた。結果的に、1974年式は351CJエンジンと4速MTが選択可能な最後の年式となった。 1974年式グラン・トリノ・スポーツはスポーツルーフが廃止されたため、グラン・トリノの2ドアモデルとの見分けがつきにくくなった。しかし、グラン・トリノ・スポーツには専用エンブレムが依然として残されており、1974年式ではフロントグリル、Cピラー、給油口ドアにそれぞれ装着され、Cピラーにはさらに「Sport」の文字のエンブレムも装着された。なお、オペラウインドウをオプション選択した場合はCピラーのエンブレムは無くなり、代わりにフェンダーの「Gran Torino」エンブレムの下に「Sport」エンブレムが装着された。レーザーストライプは廃止されたが、非反射式カラーストライプは幾つかの色で用意されていた。グラン・トリノ・スポーツのドア内装パネルは他のグラン・トリノと同様のビニール製が用いられた。前年までの追加メーターオプションは標準装備となり、タイヤは前年までの70シリーズ14インチ・バイアスタイヤから78シリーズ15インチ・ラジアルタイヤに変更された。バケットシートは引き続きオプションとして残されていたが、ヘッドレストが別体式のローバック形状となった。また、オプションとしてドアパネルとシートにカラーストライプを入れることができた。オプションの「マグナム500」ホイールはそれまでの総クロームメッキ仕上げから、トリムリングとスポークの両方とも塗装仕上げに変更された。1974年式グラン・トリノ・スポーツは、エンジンの性能低下と重量増大も相まって性能面では精彩を欠いたモデルとなった。特に重量面では1974年式は1972年式よりも400 lb (180 kg)も重くなっていた。 スポーツ性が次第に失われゆく状況の中でも1974年式トリノは依然として高い人気を保持しており、フォードは426,086台を生産した。しかし、そのうちの96,604台はグラン・トリノ・エリートであった。
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1974年式
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「ポンティアック・GTO」の記事における「1974年式」の解説
1974年、ユーロスタイルのマッスルカーとして一定の支持を得たグランダムとの内部競争を避けるため、そしてプリムス・ダスター360(en:Plymouth Duster)やフォード・マベリック・グラバー、AMC・ホーネットX等が開拓しつつあった小型マッスルカー市場への参入策として、ポンティアックはGTOを小型車であるポンティアック・ヴェンチュラのオプションパッケージに移行させた。事実上の4代目へのモデルチェンジである。また、1974年式は基本的なボディ・シェルとシート・メタルをシボレー・ノヴァと共有した。 1974年式はヴェンチュラの価格に461米ドルの上乗せで購入でき、車両コードはWW3を与えられた。この価格にハースト・シフターを装備された3速MT、ヴェンチュラよりも強化されたサスペンションと前後スタビライザー、往年のラムエアーを想起させるシェイカースクープ(en:Shaker scoop)、専用フロントグリルとドアミラー、そして専用ホイールと各種のGTOエンブレムが含まれていた。 1974年式の唯一のエンジンは350立方インチ(5.7L)V8エンジンであった。このエンジンは7.6:1の圧縮比と4バレルシングルキャブレターを採用し、200馬力/4000rpm、40.79kg-m/2800rpmを発揮した。オプションの変速機はよりワイドレシオ化されたハースト・シフター付き4速MT(207米ドル)と、ターボハイドラマチック3速AT。AT車は前年と同じくコラムシフトも選択できた。他に104米ドルでパワーステアリング、71米ドルでブレーキブースター付きディスクブレーキが装着できた。 1974年式のボディラインナップはベース車のヴェンチュラや、ヴェンチュラ・カスタムに従い、2ドアセダン(ノッチバック)と3ドアハッチバックの二種類が用意された。内装もヴェンチュラと共用であり、ヴェンチュラ由来の基本的な内装としてゴム製フロアマットとベンチシートが組み合わせが用意され、オプションで132米ドルでストラト・バケットシートに交換できた。ヴェンチュラ・カスタムは標準価格でベンチシートかバケットシートが選択でき、更にクッションステアリング・ホイールやカスタムペダルパッドも含まれていた。 1974年式はバイアスベルテッドタイヤが標準装備であったが、オプションとして1968年以来8年ぶりにラジアルタイヤがオプションとして復活した。その替わりラジアルタイヤオプションは、ラジアルタイヤに対応したサスペンションの再チューニングが含まれたものとなっていた。 Cars Magazine誌はテスト車両に4速MT車を選択し、0-60マイル加速は7.7秒、1/4マイルは15.72秒、最終地点速度88マイル(142km/h)を計測した。 1974年式の販売台数は1973年式よりも持ち直す7,058台という数字であったが、GTOという車名を残し続ける為に必要な台数であるとはとても言えず、この年度を最後に北米ポンティアックのGTOとしての歴史に幕を下ろす事になった。
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