近代文明への影響とは? わかりやすく解説

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近代文明への影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 07:33 UTC 版)

幻覚剤」の記事における「近代文明への影響」の解説

1940年代にLSDが研究目的出回りはじめ、1950年代には精神医学アメリカ中央情報局(CIA)による洗脳自白実験MKウルトラ計画とりあげられこのような研究極秘行われていた。R・G・ワッソンがメキシコキノコ調査をしていたときCIA諜報部員つきまとわれるということがあり、ワッソンとホフマンによる迅速なシロシビン成分特定なければ公にならなかったかもしれないともいわれる1950年代には、アルフレッド・M・ハバド大尉世界平和貢献する思い政治家科学者警察など広範に赤字でLSDを配った。ハバド大尉開発したLSDによる精神療法であるサイコリティック療法精神科医オズモンド広めた精神科医のハンフリー・オズモンドにハクスリー自らが幻覚剤モルモットとなることを申し出1953年の春、幻覚剤メスカリンによる実験開始された。その翌年1954年に『知覚の扉』が出版され学者一族としての観察精神作家としての筆の確かさ下地に、神秘主義者認識幻覚剤による体験絵画への言及通して哲学的に考察した。『知覚の扉』は、60年代意識革命の発端として評価高くハーバード大学幻覚剤研究者であるティモシー・リアリー意識革命理論素地となり、リアリー後継的な存在であるのテレンス・マッケナにも大きな影響与えた同じような頃、世界中で麻薬使用実態調べ実際に摂取していた作家ウィリアム・S・バロウズは、友人アレン・ギンズバーグアヤワスカ体験について手紙送っている。バロウズによれば中毒性の強いモルヒネ阿片麻薬呼んで幻覚剤区別しあらゆる幻覚剤使用者聖なるものみなされ宗教的になるが麻薬はそうではないとしている。 1956年ハクスリーとの文通でハンフリー・オズモンドがサイケデリックという言葉思いついた。翌年1957年に、精神分析学会でこの言葉紹介した1959年最初のLSDの国際会議開かれたとき、CIAはLSDは人の精神狂気追いやる主張し創造性高めるといった心理学者による主張否定した。 LSDは1953年発表されDNAの二重らせん構造着想与えた。LSDは、芸術家アンディ・ウォーホルアートにも影響与えた1960年代ハーバード大学幻覚剤研究行っていた心理学者ティモシー・リアリーが、刑務所受刑者に対して行った臨床実験では、シロシビン摂取によって神や愛について語られるようになり対立なくなったハーバード大学研究者らは、次第チベット仏教経典一つである『チベット死者の書』が幻覚剤起こす幻覚体験ガイド本として非常に役に立つものだという見解至り幻覚剤用い内容書き直しチベット死者の書サイケデリック・バージョン』として出版している。この本には、ティモシー・リアリー研究してきたセットとセッティング理論の、幻覚剤摂取体験に際して幻覚剤選択投与量自他心構え周囲の環境が重要であるということについても書かれている1960年代には、LSDが大量に流通し幻覚体験ヒッピームーブメント素地となっていた。こうしたムーブメントサマー・オブ・ラブとも呼ばれる。LSDはアシッド俗称されアシッド・ロックといった音楽シーン作り出した40万人導引したロックフェスティバルウッドストック・フェスティバルでもLSDが流通したといわれる1965年に、LSDを体験したオーガスタス・オーズリーは大学中退しLSDの工場をつくり、オーズリーブルースと呼ばれるバッドマンの絵が描かれ高品質のLSDを安価製造し世界中流通した。LSDは1966年アメリカの法律禁止された。オーズリーがFBI逮捕されると、スカリーとオーズリーの弟のティムがその意思引き継ぎ、オレンジサンシャインという名で流通させたが、起訴されときにはスカリーはLSDの摂取によって心が優しくなるので流通させたとし、また製造したのはLSDではなくALD52という近似化学構造持った物質であると主張した。 ジョン・グリッグスはティモシー・リアリー著書読み永遠なる愛の共同体というLSDとマリファナ安価に流通させる組織結成し組織国際的な麻薬流通組織となったが、グリッグスは猛毒ストリキニーネ混ざったシロシビン摂取して死亡したストリキニーネ混じった麻薬殺害目的として渡されるのである。後にCIAのロナルド・スタークが永遠なる愛の共同体の代表となり、スイス隠し金庫に稼ぎ預金していた。LSDの安価な製造法開発し永遠の愛兄弟団にその製造法提供したリチャード・ケンプは、永遠なる愛の共同体後継として1970年代イギリスでLSDを流通させ、1970年代半ば逮捕されたが、その裁判公判記録によって安価なLSDの製造法広まっていった。歌手ジョン・レノンは、暗殺される直前CIAはLSDによってわたしたちをコントロールしようとしたが結果として自由を与えた言っている。 ニューメキシコ大学のリック・ストラスマンによれば60人の被験者半数近くDMT摂取によって地球外生物遭遇した主張している。テレンス・マッケナは、DMTエイリアン遭遇する次元誘発する考えていた。脳科学者でLSDやケタミンの研究行っていたジョン・C・リリーはケタミンの摂取によって、地球外知性体とコンタクトしたと述べている。アヤワスカ摂取によって異次元行き、体の半分人間以外の生物あるよう存在接触するといわれる1970年代には、テレンス・マッケナが、マジックマッシュルーム栽培に関する本を出版しアメリカでこうしたキノコ入手容易になっていったテレンス・マッケナは、リアリー本人にも「1990年代ティモシー・リアリー」と呼ばれるどこうし意識革命文化影響力をもった存在になっていった。 1960年代のLSDによるカウンター・カルチャー若者は、コンピュータ先端科学利用するカウンター・カルチャーであるサイバーパンクへと変容ていったまた、このリアリー発端とする意識の自由を求め思想1980年代以降も有力に機能しているとも評価されている。WIREDといった雑誌ウェブサイトでその流れ継続されている。 MDMAは視覚幻覚はもたらさず、共感性高めるという特徴がある。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の患者に対して共感性高めといわれるMDMAを投与する治療研究が行われた。1984年頃、アメリカテキサス州大量生産され流通したが、同年アメリカで違法薬物認定された。 1980年代後半より、スペインイビサ島電子音音楽シーンからアシッド・ハウスとしてLSDが流通する音楽シーンとしてリバイヴァルされた。MDMAは、1980年代後半イギリスのレイヴシーンに影響与えた。これはセカンド・サマー・オブ・ラブとも呼ばれる。LSDだけでなくMDMA(エクスタシー)の使用増加していった。レイヴシーンはその後アメリカの主にサンフランシスコ飛び火したテレンス・マッケナによればレイブハイテク化したヒューマン・ビーインである。そして、2000年前後には、レイブシーンはドイツベルリン100万人以上が参加するラブパレードというイベントにも発展している。 1990年前後にはインドゴアでしばしばLSDを用いて行われていたゴアトランスなどのダンス・パーティサイケデリックトランスへと発展した

※この「近代文明への影響」の解説は、「幻覚剤」の解説の一部です。
「近代文明への影響」を含む「幻覚剤」の記事については、「幻覚剤」の概要を参照ください。

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