近代文学の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 16:30 UTC 版)
朝鮮において、近代的な小説形態、又は自由詩を移入したのは李光洙と崔南善である。李光洙は1917年に『無情』を連載し、朝鮮における近代小説を確立した。崔南善は雑誌を自ら手掛けて「新体詩」を発表、後に続く詩人達に少なくない影響を与えると同時にその育成の場を提供した。 朝鮮における近代文学は日本に留学中、または留学したインテリ達によって牽引される。彼らは留学中に西洋の文学思潮を学び、それを取り入れた。金東仁、廉想渉、金裕貞、蔡萬植、李泰俊、朴泰遠、李箱、羅稲香、兪鎮午、李無影等が挙げられる。彼らは「海外文学派」「九人会」「劇文学会」「セクトン会」等各々団体を作り、互いに文学的主義を批判・主張し合いながらその水準を高めていった。 こうした日本留学組、その中でも大学に通える資金を持つ者達は比較的裕福な両班階級の子弟であることが多く、彼らに対抗する集団として1920年代頃からプロレタリア主義作家が台頭する。プロレタリア主義作家として、林和、崔曙海、崔明熙、李箕永、韓雪野、宋影、洪思容等が挙げられる。彼らはKAPFを結成し、労働者の代弁者として朝鮮総督府とブルジョア民族主義を糾弾したが、この動きは朝鮮総督府の弾圧により1935年頃を境に沈黙する。
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