路線の変遷
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柴崎折返場までの暫定開業時の北路線については、#北路線暫定区間(柴崎折返場)を参照。 全面開業後の北路線(調37系統)の終点「都営深大寺住宅」停留所は東八道路沿いにあり、近隣には調布市と三鷹市で構成する一部事務組合「ふじみ衛生組合」の清掃工場「クリーンプラザふじみ」がある。この清掃工場は二枚橋焼却場の老朽化により1999年に建設が計画され、2012年度に竣工、翌2013年(平成25年)4月より本格稼働を開始したものである。建設経緯の詳細については「二枚橋衛生組合」を参照。 なお「都営深大寺住宅」停留所には、2001年3月30日に運行開始したみたかシティバス西部ルートも乗り入れていたが、翌2002年11月から経路変更されて同停留所は経由しなくなった。路線変更については「みたかシティバス#過去の路線」を参照。 2015年4月に調布市は、西路線・北路線に関する地域懇談会を各沿線で開催した。内容は以下のとおり。 西路線西路線は運行開始以来、利用者は増加しているものの運行収支は赤字で、2014年度は500万円の補助金を支出したと市は説明。また市の調査では、上石原三丁目 - 飛田給駅(当時は北口発着)間で利用者の少ない時間帯があると判明。市はそのため財政負担を抑えつつ利便性を高める方策として、飛田給駅方面の利用者が少ない時間帯に、調布駅南口 - 上石原三丁目の区間便を設定した上で増便することを提案した。 これに対して懇談会の参加者からは、区間短縮による利便性低下、地域による不公平感、西部地域福祉センター利用者が乗車できなくなるなどの反対意見があった。結局、区間便の設定は実現せず従来どおりの運行となった。 また参加者からは、西路線と経路が一部重複する調51系統(調布駅南口 - 地域福祉センター - 上石原三丁目 - 車返団地折返場)と運行時刻が近く、非効率な運行になっているとの指摘があった。しかしこれについては結局、2018年2月22日の京王バスのダイヤ改正により、調51系統の方が大幅減便される結果となっている。調51系統については「京王バス調布営業所#是政線」を参照。 北路線北路線は京王バス東(当時)の自主運行路線で、運行収支は赤字であるが市の補助はないと説明。また上ノ原循環の利用者は多いが、調37系統の晃華学園東 - 都営深大寺住宅間の利用者が非常に少なく、このまま空気輸送で運行継続すれば北路線の存続も危ういことが当時から指摘されていた。京王側からの改善案として、調37系統が2便・調36系統が1便の割合で運行中のものを、調37系統を1便に減便した上で、調36系統をつつじヶ丘駅行きに変更したいとの提案があった。なお、この件については調布市議会でも取り上げられていた。 これに対して懇談会の参加者からは、深大寺市営住宅(晃華学園東の一つ先)での利用が多い、上ノ原地区はつつじヶ丘駅北口行きの丘21系統が経由する(本数も多い)、野ヶ谷地区からは吉祥寺駅・三鷹駅、調布駅北口への小田急バス便がありつつじヶ丘駅への需要はないなど、懐疑的な意見が示された。 しかし沿線住民も当該区間の乗客の少なさは認識しており、市が補助金を出すべきという意見も上がった。また上ノ原・柴崎地区と、その先の三鷹市寄りの野ヶ谷地区(深大寺東町)との温度差も浮き彫りになり、調37系統の開設により小田急バスが減便されたことや、路線開設の経緯にいわゆるNIMBY施設の建設受け入れへの見返りという面があったことを指摘する声もみられた。 結局、北路線についてもこの時点では変更は行われず、つつじヶ丘駅乗り入れ案は立ち消えとなった。その後、2020年のダイヤ改正により、調37系統はついに大幅減便されることとなる。 2020年11月16日の京王バス・小田急バスのダイヤ改正に合わせ、北路線および東路線の一部で運行便数の変更が行われ、北路線の調37系統が大幅減便された。このダイヤ改正以前は、北路線の調36・調37系統はともに50分に1本程度の運行で、調布駅北口の同じ停留所からほぼ交互に出発するダイヤが組まれていた。ダイヤ改正により調37系統は1日2 - 3便に削減され、北路線のメインは調36系統となった。このダイヤ改正は『市報ちょうふ』2020年11月20日号によれば「新型コロナウイルス感染症の流行によるミニバス運行事業者への影響」が理由と述べられている。調布市ミニバスにおいては、2012年の調37開業・調36路線再編以来の大規模なダイヤ改正となる。変更の詳細は各路線の記事を参照。 2021年1月、市は西路線に関する利用者懇談会を開催し、西路線の運行ルートなどの変更について利用者と意見交換を行う。2015年度とは異なり「地域懇談会」から「利用者懇談会」へ名称を変更。会場も沿線の公民館だけでなく、アクセスの良い調布市教育会館(調布駅南口、市役所庁舎の隣)でも開催し、広く参加者を募ることとした。
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路線の変遷
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蒲原鉄道では1999年10月4日の鉄道線全線廃止に伴って、村松駅前 - 五泉駅前間を運行する路線バス「五泉線」の増発を行い、加えて運行区間を新潟県立五泉高等学校と新潟県立村松高等学校へ延伸して通学者の利便性を確保した。のちに村松駅前と村松地区東部の集落とを連絡する「川内線」と運行系統が統合され「五泉・川内線」に改称した。 しかし路線バス事業自体の収支は芳しくなく、蒲原鉄道と子会社の蒲鉄小型バス(かんてつこがたバス、本社所在地は蒲原鉄道と同所)が運行していた一般路線バスは2002年11月1日付で一旦全廃し、当時の村松町と五泉市、加茂市から運行費用の補助を受ける形で廃止代替バスへ転換して運行を継続した。 だが収支は悪化の一途をたどり、その後、加茂市内の一部区間は2003年8月に加茂市営市民バスに、木越線・刈羽線は2008年10月1日から五泉市コミュニティバス(運行業務は泉観光バスが受託)にそれぞれ転換され、減便もしくは廃止された。さらに2009年9月まで運行していた加茂線と戸倉線も同年10月1日から前述2市のバスに転換され、加茂線は村松 - 高松間に区間を短縮して加茂市中心部への乗り入れを取り止めた。結局蒲原鉄道は自力での一般路線バスの運行継続を断念し、最後まで運行していた五泉・川内線、高松線の2路線も2010年9月30日を以って全線廃止となり、蒲鉄グループの一般路線バスは全廃された。 翌10月1日からは五泉市が策定した「地域公共交通総合連携計画」に基づき、新潟交通観光バスなど他の五泉市内の路線バスも含めて基幹バス「五泉市ふれあいバス」および予約制デマンド乗合タクシー「さくら号」に再編された(詳細は五泉市ふれあいバス#沿革を参照)。これ以降、蒲鉄グループが事業主体として運行している路線バスは下記の高速バス1路線のみであるが、引き続き前述の2社と共にふれあいバスの運行業務の一部を受託している。 2007年11月時点での路線図(蒲鉄小型バス) - WayBack Machineによるアーカイブ これまでに廃止された主な路線 加茂線(2009年9月廃止)南部郷総合病院 - 村松駅BT - 中野橋 - 大蒲原小学校前 - 牧(上大蒲原)- 金割鉱泉 - 高松 - 土倉 - 冬鳥越 - 大橋橋際 - 元狭口 - 加茂駅前 戸倉線(2009年9月廃止)南部郷総合病院 - 村松駅BT - 別所 - 慈光寺 - 香ケ見(戸倉) - 大谷 - 出戸 - 大橋橋際 - 元狭口 - 加茂駅前 木越線(2008年9月廃止)南部郷総合病院 - 村松駅BT - 愛宕原 - 木越 - 吉沢二丁目 - 五泉駅前 刈羽線(2008年9月廃止)南部郷総合病院 - 村松駅BT - 中野橋 - 刈羽 - 中名沢 - 笹野町 - 諏訪の木 - 村松駅BT 五泉・川内線(2010年9月廃止)高石・田川内 - 小面谷 - 川内 - 愛宕原 - 村松高校前 - 村松駅BT - 南部郷総合病院入口 - 今泉 - 五泉駅前 - 五泉高校前 高松線(2010年9月廃止)南部郷総合病院 - 村松駅BT - 中野橋 - 大蒲原小学校前 - 牧(上大蒲原)- 高松 - 金割鉱泉 - 高松入口 加茂線廃止後の路線。大蒲原小学校 - 高松入口間は牧先回り、上大蒲原先回りの2経路があり、全便が高松入口から村松市街地方面へ折り返し。
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路線の変遷
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「市道181号 (台湾)」の記事における「路線の変遷」の解説
1961年、県道181号の名称で湖内~汕尾間が設定される、全長59.033km。 1976年、湖内~左営間が台17線に編入される。 1979年7月1日、高雄市が直轄市に昇格させることに伴い、左営~鳳山が市街道路に解編される。 1986年、鳳山~林園間が台25線に編入される。また林園から汕尾の区間も郷道高89線に編成されたため、県道181号は廃止される。 2003年9月、杉林と美濃を結ぶ月光山トンネルが開通。 2004年1月13日、県道184号が台28線に編入されたため、支線市道184甲線・市道184乙線にも廃止される。後年月光山トンネル、元支線の県道184乙線を統合し、月眉~高樹区間を県道181線に編入される。 2013年、美濃~高美大橋間名称が市道181線に改められる。
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「市道188号 (台湾)」の記事における「路線の変遷」の解説
1961年、県道188号の名称で高雄~高樹間が設定される、全長49.149km。 1976年、高雄~左営間が台17線に編入され、県道188号の起点も左営に改められる。 1993年、左営~楠梓間が市街道路に解編され、楠梓~高樹間が台22線に編入されたことにより、県道188号は廃止される。 2004年1月10日、台88線高架橋に下の車線増設工事完成され、翌年2005年3月29日、五甲~竹田間が県道188号として編成した。 2013年、五甲~万大大橋間名称が市道188線に改められる。
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路線の変遷
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「市道175号 (台湾)」の記事における「路線の変遷」の解説
1961年、台南県安南郷(現在の台南市安南区)十二佃(178線7+010)から、高雄県湖内郷(現高雄市湖内区)太爺(台1線341+758)まで全長23.24kmの区間を県道175号として設定した。 1975-77年、上記区間のうち、十二佃から湖内市街地までが台17線に編入された。また湖内市街地から太爺の区間も郷道高2線に編成されたため、県道175号は廃止された。 1983年、関子嶺~横路間の道路を県道175号として編成した。 2013年、台南県が台南市に吸収されたことに伴い、市道175号に改名された。
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