路線の休廃止を記念するもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:43 UTC 版)
「さよなら運転」の記事における「路線の休廃止を記念するもの」の解説
特定の鉄道路線を廃止するのを記念して運行するさよなら運転が実施されることがある。 戦前から戦後間もない時期に廃止された路線では実施例が少ないが、昭和30年代以降に廃止された旅客路線については多くの路線で実施されている。臨時列車を運行する場合もあるが、運行側の事情や、「正真正銘の最後の列車に乗りたい」という鉄道ファンの要求に応えるために、定期の最終列車を「さよなら運転」と銘打ち、装飾を施して運行する場合が多い。 なお、1970年代以前には最終営業日の翌日、書類上は路線を廃止した状態でありながら運賃無料の「さよなら列車」を運行した例があるが、1980年代以降はこのような運行は実施されなくなった。またこの頃から進められた特定地方交通線の第三セクター鉄道への転換の際、国鉄・JRによる最終運行日にさよなら運転が実施されたケースも数多い。 しかしながら、鉄道においてはさよなら運転が行われずに廃止になる例もある。主な例としては、災害や事故などの突発的な事情で運行不可能となった場合が挙げられる。この場合は物理的に列車の運行ができない状態に置かれているので、さよなら運転もできず、そのまま廃止せざるを得ない。最近では、京福電気鉄道永平寺線、高千穂鉄道高千穂線、JR岩泉線などの例がある。ただし、この場合でも列車を運行しない記念式典を行うことはある。例えば、小田急向ヶ丘遊園モノレール線では車両の欠陥による廃線のためさよなら運転は実施されなかったが、廃止後にさよなら見学会が行われた(後述)。 その他に、特殊な例として廃線を伴わない駅の廃止を記念してさよなら運転が行われたことがある。石勝線の楓駅の信号場格下げがそれであるが、運行系統上、同駅は実質的に盲腸線の終点駅であった。 また、路線の廃止手続きを伴わない、ルート変更など新路線への切り替えもさよなら運転は実施しないのが通例である。しかし、例えば北陸本線の支線としてしばらく使われた柳ヶ瀬線はさよなら運転が行われており、同じく北陸本線への旧線からの切り替えも(この二つの例の場合は北陸本線として発展の基礎を築いたとして)、関係者の間では杉津駅などの駅などにおいて記念式典が行われた。 特定の路線の廃止・休止の例名鉄岐阜市内線(2005年3月撮影) 特定の路線の廃止・休止の例近鉄東信貴鋼索線「さよなら」のヘッドマークを掲げている。(1983年8月29日撮影。廃止日は同月31日) 廃止を間近に控えた天北線の駅。記念切符の発売の看板が見える。廃止される路線の駅ではイベントの開催や記念切符の発売などが行われることがある。
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