秋山真之
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秋山 真之(あきやま さねゆき、旧字体: 秋山 眞之、1868年4月12日〈慶応4年3月20日〉 - 1918年〈大正7年〉2月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等功級は従四位勲二等功三級。勲二等旭日重光章、功三級金鵄勲章を授与された。通称は淳五郎(じゅんごろう)。
注釈
出典
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』株式会社三省堂、2009年 19頁。
- ^ 在米国海軍大尉秋山真之「サンチャゴ・ヂュ・クバ之役(極秘諜報第百十八号)」
- ^ 『(証言録)海軍反省会』2009年、kindle版3:04
- ^ a b #神の罠157-158頁
- ^ 『官報』第2708号「叙任及辞令」1892年7月8日。
- ^ 『官報』第4046号「叙任及辞令」1896年12月22日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第5539号「叙任及辞令」1901年12月18日。
- ^ 『官報』第6384号「叙任及辞令」1904年10月8日。
- ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
- ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
- ^ 『官報』第1652号「叙任及辞令」1918年2月6日。
- ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
- ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
- ^ 『官報』第1190号「叙任及辞令」1916年7月19日。
- ^ 『官報』第2836号「叙任及辞令」1922年1月18日。
- ^ 『官報』第2532号「叙任及辞令」1921年1月13日。
- ^ 『官報』第1293号「叙任及辞令」1916年11月22日。
- ^ 『官報』第1293号「叙任及辞令」1916年11月22日。
- ^ a b 山梨 1981, pp. 91–93, 第2話 日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本の歩み:3 日本の国防方針と海軍の戦略・戦術
- ^ 穂高健一 (2014年4月10日). “『皇国の興廃この一戦にあり。〜』は秋山真之の名言にあらず。2番煎じ|穂高健一ワールド〜書斎の小説家が街に飛び出した、気鋭のジャーナリストとして”. 穂高健一ワールド. 2019年9月23日閲覧。
- ^ “【昭和天皇の87年】アジアを奮い立たせた勝利 「太陽の国が、明るい光を与えた」”. 産経新聞: p. 4. (2018年8月5日) 2020年10月12日閲覧。
- ^ a b 秋山兄弟生誕の地・パンフレット
- ^ 平間洋一 (1991). “秋山真之: 南洋群島占領の推進者”. 太平洋学会学会誌 14 (1): 190-191 (p.190) .
- ^ a b 秋山大と大倉精神文化研究所 星原大輔 p.186
- ^ 古代發見 秋山大
- ^ アメリカ留学中のメモ/秋山兄弟生誕の地・パンフレット
- ^ 日本海海戦後後の講演会で/秋山兄弟生誕の地・パンフレット
- ^ 親族の青年に当てた言葉/秋山兄弟生誕の地・パンフレット
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