歌枕とは? わかりやすく解説

うた‐まくら【歌枕】

読み方:うたまくら

和歌多く詠み込まれる名所・旧跡

和歌詠み込まれる特殊な語や句。名所枕詞序詞など。

歌を詠むのに典拠とすべき枕詞名所など記した書物。「能因歌枕」など。

[補説] 書名別項。→歌枕


うたまくら【歌枕】

読み方:うたまくら

中里恒子小説昭和48年1973刊行第25回読売文学賞受賞


歌枕


歌枕

作者中里恒子

収載図書昭和文学全集 19
出版社小学館
刊行年月1987.12

収載図書網野菊芝木好子中里恒子
出版社角川書店
刊行年月1999.5
シリーズ名女性作家シリーズ

収載図書歌枕
出版社講談社
刊行年月2000.6
シリーズ名講談社文芸文庫


歌枕

読み方
歌枕うたまくら
歌枕かつらぎ

歌枕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/11 03:07 UTC 版)

歌枕(うたまくら)とは、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またはそれらを集めて記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさしていう。


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  1. ^ 『日本歌学大系』第壱巻7頁
  2. ^ 『日本歌学大系』第壱巻42 - 43頁
  3. ^ 『日本歌学大系』第壱巻所収『能因歌枕』より
  4. ^ 『日本歌学大系』第壱巻38 - 41頁
  5. ^ 『日本歌学大系』第壱巻38頁、152頁
  6. ^ 『日本歌学大系』第壱巻所収『能因歌枕』


「歌枕」の続きの解説一覧

歌枕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 08:13 UTC 版)

二上山 (富山県)」の記事における「歌枕」の解説

二上山は歌枕としても知られている。 歌人大伴家持は、越中国司として現在の高岡市伏木赴任したとき、二上山題材にした歌を詠んでいる。このため日吉社登り口御前駐車場向かい大伴家持銅像建てられている。この銅像以前御前駐車場から少し下った二上山公園万葉植物園にあったが、1981年昭和56年)頃に現在の場所に移設された(同時に高岡駅前広場にも新たに大伴家持銅像建立された)。

※この「歌枕」の解説は、「二上山 (富山県)」の解説の一部です。
「歌枕」を含む「二上山 (富山県)」の記事については、「二上山 (富山県)」の概要を参照ください。


歌枕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 00:55 UTC 版)

勿来関」の記事における「歌枕」の解説

平安時代から近代前までに125首ほどの短歌形式和歌詠みこまれている。 「なこその関」を詠んだ和歌八条御息所:たちよらは かけふむはかり ちかけれと たれかなこその せきをすゑけむ(後撰和歌集源師賢朝臣:あつまちは なこそのせきも あるものを いかてかはるの こえてきつらむ(後拾遺和歌集源俊頼朝臣:なこそといふ ことをはきみか ことくさを せきのなそとも おもひけるかな(金葉和歌集源義家朝臣:ふくかせを なこそのせきと おもへとも みちもせにちる やまさくらかな(千載和歌集小野小町:みるめかる あまのゆききの みなとちに なこそのせきも わかすゑなくに(新勅撰和歌集西行法師:あつまちや しのふのさとに やすらひて なこそのせきを こえそわつらふ(新勅撰和歌集よみ人しらず:ほとときす なこそのせきも なかりせは きみかねさめに まつそきかまし(続後撰和歌集後嵯峨院:きくたひに なこそのせきの なもつらし ゆきてはかへる みにしられつつ(新後撰和歌集一品資子内親王:ゆめちには なこそのせきも なしといふに こひしきひとの なとかみえこぬ(玉葉和歌集和泉式部:なこそとは たれかはいひし いはねとも こころにすうる せきとこそみれ(玉葉和歌集安嘉門院四条:さてやさは こえにしものを いまさらに またはなこその せきもりそうき(玉葉和歌集) 前大僧正慈鎮:あつまちの かたになこその せきのなは きみをみやこに すめとなりけり続千載和歌集) 前右近大将頼朝:みやこには きみにあふさか ちかけれなこそのせきは とほきとをしれ(続千載和歌集右大将道綱母(倫寧女):こえわふる あふさかよりも おとにきく なこそはかたき せきとしらなむ(新千載和歌集従二位為子:きくもうし たれをなこその せきのなそ ゆきあふみちを いそくこころに(新拾遺和歌集権中納言隆房:いかにまた こころひとつの かよひぢも すゑはなこその せきとなるらむ(新拾遺和歌集) 前大納言為氏:いとはるる わかみなこその せきのなは つれなきなかや はしめなるらむ(新続古今和歌集) 文貞公:いまさらなこそのせきを あふさかの やまのあなたに たれかすゑけむ(新葉和歌集右近大将親母:いそかれぬ いそちのさかも こえにけり おいはなこその せきもりもかな(新葉和歌集) 源時明:こえやすき なにやならへる みちのくの これはなこその せきとしらなむ(万代集) 家長朝臣:あつまちは なこそのせきと きくからに ひとくといとふ うくひすのこゑ(夫木和歌抄慈円みちのくや はるまつしまの うはかすみ しはしなこその せきちにそみる(夫木和歌抄忠盛朝臣:はるかせを なこそのせきの おそさくら けふいくかにか たつねきぬらむ(夫木和歌抄待賢門院安芸:ゆきやせむ ゆかすやあらまし あつまちの なこそのせきに よふことりかな(夫木和歌抄顕昭:かへるはる おもひやるこそ くるしけれ なこそのせきの ゆふくれのそら(夫木和歌抄) 前右兵衛督為教:なけやいま をちかたすくる ほとときす なにはなこその せきといふとも夫木和歌抄) よみ人しらす:あふくまを いつれとひとに とひつれは なこそのせきの あなたなりけり夫木和歌抄紀貫之:をしめとも とまりもあへす ゆくはるを なこそのやまの せきもとめなむ(夫木和歌抄中務敦慶親王女):みちのくなこそのせきに ききつれと きくきくなほも こえぬへきかな(中務集中務敦慶親王女):まつほとの とほたうみこそ わひしけれ なこそのせきに いまはさはらし(中務集源信明:なこそよに なこそのせきは ゆきかふと ひともとかめす なのみなりけり信明集藤原師氏:あふさかの うたかたひとは みちのくの さらになこそを なつくるかもし(海人手古良集藤原実方:こまほしと おもふこころは ありなから なこそのせきを つつまるるかな(実方集) よみ人しらす:きみこすは してのやまにそ ほとときす しはしなこその せきをすゑまし(実方集) 相模:せきかたき なこそもあるを しほうらの よひさかまても かかりけるかな(相模集藤原顕季:あつまちの なこそのせきよとともに つれなきひとの こころなりけり六条修理大夫集源俊頼:さもこそは なこそのせきかたからめ さくらをさへも ととめけるかな(散木奇歌集源俊頼:あつまちの なこそのせきは わかこふる ひとのこころの なにこそありけれ(散木奇歌集俊恵:いもかもる なこそのせきを はかれとも とりならぬねは かなはさりけり(林葉和歌集俊恵:いつことも しらせぬにこそ しられぬれ われをなこその せきにやあるらむ(林葉和歌集俊恵:あふさかの せきのなこそに なりぬるは あやしやいかに ふみやたかへむ(林葉和歌集藤原重家:よしもなき われをなこその せきよりは つきひとをとこ ととめましかは(重家集藤原家隆:たのめても またこえぬまは あふさかの せきもなこその ここちこそすれ壬二集藤原実国:さらぬたに なこそのせきと きくものを いととかすみの たちへたつらむ(実国卿集) 源俊頼:あつまちの なこそのせきの よふことり なににつくへき わかみなるらむ(堀河百首源顕仲はるはると たつねきにけり あつまちに これやなこその せきととふまて(堀河百首藤原基俊:なにしおはは なこそといふと わきもこに われてふこさは ゆるせせきもり堀河百首) 永縁:あふさかは こえにしものを いまはたなこそのせきの なこそつらけれ堀河百首河内:こひわひて きのふもけふも こゆへきに なこそのせきを たれかすゑけむ(堀河百首源師頼たちわかれ はつかあまりに なりにけり けふやなこその せきをこゆらむ(堀河百首源兼昌:みやこひと こひしきまてに おとせぬなこそのせきを さはるにやあらむ(永久百首藤原為忠:さくらはな かせをなこその せきならは ちるをもなとか ととめさるへき(為忠家後百首御室守覚法親王:われもをしむ みちになこその せきもあるを おもひもしらす かへるはるかな正治初度百首後九条内大臣:ゆめちには なこそのせきや つつくらむ わかみにかよふ おもかけそなき(宝治百首花山院師継:おほつかな ここやなこその せきならむ きりのへたてに ゆくかたもなし(宝治百首) 帥(鷹司院帥):このころは さそへたつらむ あつまちの なこそのせきの あきのゆうきり(宝治百首藤原成実:なにまよふ なこそのせきの いかならむ さてもこひちに とまるものかは(宝治百首洞院実雄:いとはるる わかみにかきる なをとめて なへてなこその せきといふらむ(宝治百首源有光:へたてける ひとのこころの おくにこそ われをなこその せきはありけれ(延文百首日野時光:なこそとは ちきらぬものを うきひとこころのせきや ゆるささるらむ(延文百首二条持基おとにきく なこそのせきの なもつらし わかかよひちに あるとおもへは(永享百首一条兼良せきもりの うちねぬよはは あつまちの なこそといふそ とふにまされる永享百首) 浄喜:うきなかに なこそのせきありけるを あつまにのみと なにおもひけむ(永享百首権中納言隆房:かくはかり あとなくかへる はるならは なこそのせきなにかわけこし(御室五十首冷泉為尹:あちきなや とはむとのみは おもへとも われをなこその せきのゆふくれ(為尹千首左近権少将顕国:あつまちの なこそのせきに ありなから なひとまねはなすすきかな(元永年内大臣家歌合権中納言公継:いかていはむ かくこそありけれ せきもりも いつらなこその なをこたへけむ(水無瀬十五歌合小侍従:かくはかり なこそのせきと おもひける ひとにこころを なにととめけむ(千五百番歌合) 前大僧正頼意:よひよひに かよふこころも かひそなき なこそのせきの つらきへたては(南朝五百番歌合) 前大僧正頼意:わかそてに しのふなみたの もるといへは なほそなこその せきかひなき南朝五百番歌合) (女):あふことの とほたあふみなる われなれは なこそのせきも みちのまそなき(平中物語平貞文:なこそてふ せきをはすゑて あふことを ちかたふみにも きみはなさなむ(平中物語権少僧都□円:ゆくすゑの なこそのせきは さもあらはあれ まつあふさかの やまをこえはや(楢葉和歌集藤原蔭清:あたちのの あたにもひとを おもはぬに なこそのせきの なこそつらけれ新和歌集田辺通直妻:あつまちの なこそをたにも こえぬれは はるにはさはる せきやなからむ(林葉累塵集後水尾院:おのかうへに なきおひてこそ ほとときす まつになこその せきのなもうき(新明和歌集伊豆守真政:いまそしる なこそのせきせきもりひとのこころの おくにありとも(霞関集荷田春満:なこそとふ せきありときく あつまちに われよふことり なくそあやしき八十浦之玉少将慶徳朝臣いにしへなこそのせきは なのみにて くもちはるかに わたるはつかり大江戸倭歌集藤原経衡:いかなれは おほうちやまの みちにさへ いまはなこその せきをすうらむ(経衡集藤原経衡:いかかとも こころのうちに おもへとも なこそのせきの なこそをしけれ経衡集源行宗:ははかりも なこそのせきも こえはてて いまあふさかそ うれしかりける(行宗集藤原公重わきもこか やともたつねて ゆきなまし なこそのせきの あなたならすは(風情集藤原頼輔あやにくに すくるひとをそ ととめける たれかなこその せきといひけむ(頼輔集藤原実家:あつまちと なこそのせきは ききしかと つれなきなかに ありけるものを(実家集) 藤原経家:あつまちの なこそとわれに いひおきて いかなるひとに あふさかのせき(経家集藤原範宗:くれぬとも けふもこゆへき あつまちや いまはなこその せきもりそうき(範宗集沙弥寂身:よひよひに いまはなこその せきすゑて かよはぬなかの みちそはるけき(寂身法師集) 飛鳥井雅有:しひてゆく こころよいかに あつまちの なこそのせきの なをはきかすや(隣女集) 飛鳥井雅有:あふさかに あらぬなこその せきもりを わかこひちには たれかすゑけむ(隣女集) 飛鳥井雅有:なもつらし わかみひとつの ためなれや ひともなこその せきのとさしは(雅有集) 伏見院:さそふへき かせもなこその せきのなに はるをととむる はなそひさしき伏見院御集宗良親王:あつまちと ききしなこその せきをしも わかふるさとに たれかすゑけむ(李花和歌集飛鳥井雅世:わかかたに なこそのせきなきものを いつあつまちに とほさかりけむ(雅世集) 伏見宮貞成親王:よひよひに かよふこころは ゆるさなむ みこそなこその せきちもるとも(沙玉集) 飛鳥井雅親:こころたに せめてかよはは あつまちの なこそのせきは よしへたつとも(続亜槐集宗祇:つらきたに はなのかたみを はるのかなこそのせきに こころやはある(宗祇解) 後柏原院:みやこには なこそといはむ せきもなし あつまちちかき はるやきぬらむ(柏玉集三条西実隆:みちのへに かけふむつきは ゆくくもを そらになこその せきやすゑけむ(雪玉集木下長嘯子:あふさかも はなさくころは ふくかせを なこそのせきと いひやかへまし(挙白集松永貞徳あとつけて きなれのさとの ひともあらむ ゆきになこその せきもりもかな(逍遊集契沖:うきことを なこそのせきあなたにあきたつひより あきかせそふく(漫吟集契沖あとつけむ ひとをなこその せきもりと かせそかたむる にはのしらゆき漫吟集賀茂真淵:あつまちに あるてふせきの なこそとも ととめぬはるの なとおくれけん(賀茂翁集) 賀茂真淵:ふくかせを なこそのせきやまさくら こころつからそ ちらはちらまし(賀茂翁集) 松平定信みちのくなこそのせきは なのみして よにこえにける はなのことのは三草集御子左為家:みちのくなこそのせきの なこそとも おもはねとまた とふひともなし(為家千首御子左為家:わかための なこそのせきを あつまちに たかこころにか すゑはしむらむ(為家五社百首) 登:あふさかを なににいそきて こえにけむ すゑになこその せきありけり(登百首花山院長親耕雲):けにそうき せめてなこその せきなくは ひなのなかちと おもひたえめや(窓賸語) 後宇多院:しのひつつ ゆるさぬなかの へたてにて ひとをなこその せきもりそうき(亀山殿七百首典侍二位嘉楽門院):あつまちの なこそのせきうきひとの こころつからの なにはあふらむ(正平廿年三六十首) 祖月:やまふかみ むすふいほりの しはしたに うきはなこその せきをすゑはや(熱田本日本紀紙背和歌武者小路実陰:よにもにす つらきなこその せきのとに こころのこまも なつむくるしさ(芳雲和歌集難波宗勝飛鳥井雅宣):ここつらや しおみちくれは みちもなし ここをなこその せきといふらん(東遊雑記阿闍梨常覚:めいあれは ふたたひ こへつみちのくなこそのせきの なにはたかひて(ひたち帯 翁) 法印宥賀:ここにまつ なこそのせきを すへおきて ひとまつしまの なはかひもなし(ひたち帯 翁) 安藤定為翁):おいのみは なこそのせききくきくも こえてそみつれ みやこかたりに(ひたち帯 翁) 市川弘道:みちのくの のわけやまわけ あかなくに たれかなこその せきといふらん(ひたち帯 翁) 安藤為実:たらちねを みちひくわれそ せきのなの なこそはしはし とさしわすれよひたち帯 翁) 肥田行正:ここつらや なこそときけと みるひとの こころをとむる せきなみかぜひたち帯 翁) 安藤定輔:をさまれる きみかみくにそ さかもなき ひとなこその せきとめよかし(ひたち帯 翁) 安藤為明(為章):なこそやま もるひともなき せきのなに こころをとめて こへそわつらふ(ひたち帯 翁) あひみては おもてふせにや おもふらん なこそのせきに おひよははきき(源氏注) 契沖:とちそひて にほをなこその せきなれや そこなるうおを いけのこほりは(漫吟集

※この「歌枕」の解説は、「勿来関」の解説の一部です。
「歌枕」を含む「勿来関」の記事については、「勿来関」の概要を参照ください。


歌枕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:07 UTC 版)

末の松山」の記事における「歌枕」の解説

古今和歌集』に収録された「末の松山」はその後多く歌人詠まれ実景からは遠のき、「あだし心を持てば波が越す」という歌枕として定着した13世紀前半成立した小倉百人一首』には清原元輔908年 - 990年)による次の歌が撰ばれ、ますます人口に膾炙した。 「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」(『後拾遺和歌集』恋四) これは、869年貞観地震による津波の際の様子うたったものであり、現代語に訳すと次のうになる。 「約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに」 これは、大津波襲来したが、津波末の松山超えることはなかったということ物語っている。また貞観地震同様に東北地方津波による甚大な被害出した2011年の東日本大震災の際も、津波末の松山の手前までは来たが、山を超えることは遂になかったといわれている。 元禄2年1689年5月8日には、松尾芭蕉らも訪れ、「奥の細道」に「末の松山は、寺を造て末松山といふ。のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはしをつらぬる契の末、終はかくのごときと、悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、 籬が島もほど近し小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとヾ哀也。」としている。

※この「歌枕」の解説は、「末の松山」の解説の一部です。
「歌枕」を含む「末の松山」の記事については、「末の松山」の概要を参照ください。


歌枕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 00:03 UTC 版)

水無瀬川」の記事における「歌枕」の解説

水無瀬川」は万葉の昔から歌に詠まれてきた。ただし、「水無瀬川」とは本来は“表面には流れ見えないが、地下伏流している川”を意味する普通名詞であり、忍ぶ恋象徴するものと考えられている。ところが、平安京遷都されて山陽道がこの川の近くを通るようになると「水無瀬川」のイメージ変質し11世紀能因が『能因歌枕』でこの川を山城国の歌枕として取り上げて以降、「水無瀬川」が特定の河川を指す歌枕になった考えられている。 「言急かは 中ゆ淀まし 水無瀬川 絶えてそ事を ありこすなゆめ」柿本人麿/万葉集 「恋にもぞ人は死にす水無瀬川下ゆ我瘦す月に日に異に笠郎女/万葉集・巻四・598 「あひ見ねば こひこそまされ みなせ河 なににふかめて おもひそめけむ」読人不知/古今集・巻十五恋歌五・760 「みなせ川ありてゆく水なくはこそつひにわが身を絶えぬと思はめ」読人不知/古今集・巻十五恋歌五・793 「ことに出でて 言はぬばかり水無瀬川 下に通ひ恋しきものを」紀友則/古今集・巻十二恋歌二・607水無頼川 をちの通路 みつ満ちて 舟わたりする 五月雨のころ」西行/山家集 「見わたせは 山本水無瀬川 夕は秋と 何おもひけん」後鳥羽院/増鏡 「川はみな瀬川清少納言/枕草子

※この「歌枕」の解説は、「水無瀬川」の解説の一部です。
「歌枕」を含む「水無瀬川」の記事については、「水無瀬川」の概要を参照ください。


歌枕(いなの)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 09:49 UTC 版)

伊丹市」の記事における「歌枕(いなの)」の解説

しながとり ゐなのをくれば ありま山 ゆふぎりたちぬ やどりはなくて 志長鳥猪名野来れば有間山 夕霧立ちぬ宿はなくして読み人知らず 万葉集巻七 「猪名野笹原」は伊丹市にある昆陽池コヤいけ)あたり。西の方に有馬山六甲山)が広がる有馬山 名の笹原吹けば いでそよ人を 忘れやはする大弐三位紫式部藤原宣孝の娘・藤原賢子。「狭衣物語」の著者にも擬せられる) 後拾遺集三 大国際空港共生する都市宣言にも引用されている。

※この「歌枕(いなの)」の解説は、「伊丹市」の解説の一部です。
「歌枕(いなの)」を含む「伊丹市」の記事については、「伊丹市」の概要を参照ください。

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