平貞文とは? わかりやすく解説

たいら‐の‐さだふん〔たひら‐〕【平貞文】

読み方:たいらのさだふん

[?〜923]平安時代歌人。名は「さだふみ」とも。平貞文家歌合主催、歌は「古今和歌集」以下の勅撰集26首。「平中(へいちゅう)」の称で知られ、「平中物語」の主人公好色美男子伝えられる平定文


平貞文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/25 10:05 UTC 版)

 
平 貞文
時代 平安時代前期
生誕 貞観14年(872年)?
死没 延長元年9月27日923年10月9日
別名 定文、平中
官位 従五位上左兵衛佐
主君 醍醐天皇
氏族 桓武平氏
父母 父:平好風
兄弟 貞文藤原守義室、等子
安快、兼時、時経、信臣
テンプレートを表示

平 貞文(たいら の さだふみ/さだふん)は、平安時代前期の貴族歌人。名は定文とも記される。桓武平氏右近衛中将平好風の次男。官位従五位上左兵衛佐中古三十六歌仙の一人。一般に平中(へいちゅう/へいぢゅう)と呼ばれた[1]

経歴

清和朝貞観16年(874年)父・好風と共に平姓を賜与され臣籍降下する。

宇多朝寛平3年(891年内舎人に任官したのち、右馬権少允右兵衛少尉を経て、醍醐朝延喜6年(906年従五位下外衛少将に叙任。その後は三河介侍従を経て、延喜17年(917年)右馬助、延喜19年(919年左兵衛佐と主に武官を務めた。延喜22年(922年)従五位上に至る。翌延長元年(923年)6月に三河権介に任ぜられるが、同年9月27日に卒去

人物

紀貫之壬生忠岑凡河内躬恒といった『古今和歌集』の撰者らと交流があった。延喜5年(905年)および翌6年の『貞文家歌合』といった歌合を少なくとも3回主宰したことが知られている。会には紀貫之・壬生忠岑・在原元方・凡河内躬恒ら当代一流の家人が参加した。家集は伝わっていないが、鎌倉時代後期に編纂された『夫木和歌抄』に拠れば、その当時は自筆の『貞文家集』が存在した、と推測されている。『古今和歌集』(9首)以下の勅撰和歌集に26首が入集している[2]。歌物語『平中物語』は平中を主人公としたものである。

色好みとしても有名で、後世に「在中・平中」として在原業平と並び称された。後に芥川龍之介は『好色』でこの平中を描いているほか、谷崎潤一郎も『少将滋幹の母』の中で重要な登場人物として平中を描いている。

官歴

『古今和歌集目録』による。

系譜

系図纂要』による。

  • 父:平好風
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:安快
    • 男子:平兼時
    • 男子:平時経
    • 男子:平信臣

平中(ひらなか)氏は平中の末裔を名乗っている。

脚注

  1. ^ 平好風の三人の男子のうち真ん中の子だったことに由来する。
  2. ^ 『勅撰作者部類』



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「平貞文」の関連用語

1
平中物語 デジタル大辞泉
72% |||||


3
18% |||||

4
デジタル大辞泉
16% |||||


6
16% |||||

7
16% |||||



10
10% |||||

平貞文のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



平貞文のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの平貞文 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS