明治維新150周年 以降とは? わかりやすく解説

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明治維新150周年 (2018)以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:04 UTC 版)

明治維新」の記事における「明治維新150周年 (2018)以降」の解説

2018年(平成30年)10月23日明治維新150周年記念して政府式典憲政記念館開いた10月23日明治改元された日であり、1968年明治百年祭同日開催された。安倍晋三首相当時)は式辞で「明治の人々勇気英断たゆまぬ努力奮闘によって、世界向けて大きく胸を開き新し時代の扉を開けた」「若い世代方々にはこの機会に、我が国近代化向けて生じた出来事触れ光と影様々な側面貴重な経験として学びとって欲しい」と述べた明仁天皇(現上皇)と美智子皇后(現上皇后)は、政府招待せず、参列しなかった。 2017年から2018年にかけて多く研究書や一般書が上梓された。歴史学者著作としては、三谷博維新再考』、三谷太一郎日本近代とは何であったか』などがある。 経営学者米倉誠一郎は『イノベーターたちの日本史 近代日本創造的対応』(東洋経済新報社2017年)で激動維新において創造的対応をなした人物注目し高島秋帆アヘン戦争危機感高めて西洋砲術研究をし、モルチール砲を輸入し分解模造(リバースエンジニアリング)を行ったことや、大隈重信秩禄処分において、士族俸禄数年分の合算総額に7%の利子付けた公債発行バウチャー制度)を生み出して生活を保障同時に士族起業農工商への転職できるように士族授産政策実施したこと、笠井順八日本存在しなかったセメント製造ベンチャー事業として行ったこと、三野村利左衛門三井家外部から入り祖業呉服商三越家分割し三井銀行設立し三井財閥中興させたこと、また同じく外部から登用され益田孝三井物産設立したこと、岩崎彌太郎三菱商船学校三菱商業学校設立し人的資源確保するなど多角的事業体三菱財閥発展させたことなどを讃えた。 明治維新150周年については、批判警告多く歴史学者奈良勝司は、明治日本では武力国力)の底上げへの奉仕国民強いられた総括し、『明治精神』への回帰とは、日本賛美による癒やしであり、「アトラクション化させた過去消費」やご都合主義的に加工した歴史への逃避では、未来展望つながらない警告した平和学木村朗は「明治翼賛最大問題は、自国不都合な歴史的事実忘却」にあるとし、近代日本は「アジア唯一の帝国主義国家」となり、アジア諸国への侵略会津藩悲劇や、アイヌ琉球への差別明治維新歪みだとする。女性史研究加納実紀代は、明治日本女性抑圧国家制度として確立したとし、民法女性準禁治産者扱いし、高等教育政治参加禁じた指摘し明治150年記念行事は、明治以後歴史肯定一辺倒染め恐れがあり、一方的な歴史認識定着しないよう注視する必要がある警告した。元学生運動家科学史家の山本義隆は『近代日本150年』(2018年)で「科学技術総力戦」という角度から日本近代論じたジャーナリスト斎藤貴男は、政府主導明治維新記念行事は、時の政府(長州藩につながる第4次安倍内閣)礼賛繋げようとしていると疑念表明している。 記者リチャード・カッツは、「明治維新米国独立記念日フランス革命記念日のようなものなのに、現代日本人はなぜ、維新150周年祝賀しないのか」と疑問思い調査すると、明治維新戦争時代の暗い歴史結び付けて考えている日本人少なくなかったという。日本近代史研究ピーター・ドウスは、明治維新が「民主主義経済的繁栄ではなく日本超国家主義植民地支配拡大、すなわち破滅へと導いていったと考えている日本人は多い」と指摘する日本思想史研究苅部直は『「維新革命」への道』(2017)において、マルクス主義歴史学遠山茂樹などのような明治維新による文明開化政府が上から強引に西洋化進め庶民にとっては迷惑であったとするような評価は、事態一部しか捉えていないと批判し公儀瓦解新政府発足は、人々にとって生活全体に及ぶ束縛からの解放感じられ、また西洋化もその動き一環として歓迎されたと述べている。苅部によれば人民の側に立つ歴史学標榜する遠山茂樹は、庶民文明開化求め楽しんだ実態には触れようとしないが、それは、遠山戦時中1944年論文水戸学性格」で、孝明天皇による「仁慈限りなき御叡慮」による幕藩封建体制改革で、「一君万民我が国体の精華」が「革新力」となると論じたことへの苦い反省があったのではないか指摘している。また、文明開花以前の古い日本憧れロマンティシズムや、薩長暴虐強調する幕臣びいき・江戸っ子びいきの歴史観も、遠山同様に民衆共感することを標榜しながらも、当時民衆文明開花を楽しみ、欲望発散機会多くなることを願ったという実態について書かないような「民衆不在」の罠にはまっていると苅部は批判する政治史研究北岡伸一は『明治維新の意味』(2020年)で、明治維新既得権益を持つ特権層を打破し様々な制約取り除いた民主化革命自由化革命人材登用革命であったとする。北岡によれば江戸時代国政参加できたのは、将軍譜代大名構成され幕閣であり、親藩外様大名排除されていたが、黒船来航以降雄藩朝廷国政参加するようになり、特に下級武士登用し薩長台頭したその後維新でこれらの下士出身官僚らは、自藩を含む藩を全廃し武士を含む身分制度さえも廃止した初代内閣総理大臣になった伊藤博文農民足軽)の出自であったが、江戸時代には政治への発言許されない身分であった。さらに西南戦争以後自由民権運動経て内閣制度確立すると、豪農内戦中は朝敵とされた東北出身者政治参加盛んになり、1890年には信越東北国会議員誕生し1918年には盛岡藩出身原敬総理大臣になった。地租改正によって中世以来石高制廃止田畑売買自由になった。職業選択も自由とされ、身分超えた教育精度導入された。 日本思想史研究の子安宣邦は『「維新」的近代幻想』(2020年)で明治維新端を発する日本近代あり方批判した

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