明治維新から第2次世界大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:58 UTC 版)
「長野市」の記事における「明治維新から第2次世界大戦」の解説
松代騒動に続く中野騒動(1870年12月)により、旧幕府領や旧旗本領を治めていた中野県庁が焼き討ちに遭って焼失し、県吏員が殺害された。結局、1871年7月に長野村の西方寺に長野県庁として仮庁舎を移転し、県行政を開始した。同年7月廃藩置県により、松代藩が松代県に改称され、真田藩知事は華族として東京に移住した。11月には松代県が長野県に編入され、水内郡や高井郡、更級郡、埴科郡、小県郡、佐久郡を治めた。 また、1876年に松本にあった筑摩県庁が火災焼失したことをきっかけに、筑摩県下にあった安曇郡や筑摩郡、諏訪郡、伊那郡も長野県に編入されて、長野が県都になった。なお、長野に市制が施行されたのは1897年のことである。 1944年には松代大本営が造成され着工したものの、1945年に日本が敗戦したことで廃棄され、GHQの占領統治下に入った。
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