明治神宮第二球場
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竣工 - 1961年(昭和36年)4月19日 サイズ - 両翼91m、中堅116m 内外野 - 全面透水性人工芝 スコアボード - パネル式(15回まで なお合計得点は原則として15回の部分に掲示する。)竣工時は神宮球場のレフトスタンド外壁部にあった。改築後はバックスクリーンすぐ横(ライト側)に設けられたが、後に右翼手の守備位置ほぼ後ろに移設されている。 収容人数 - 5,600人 1926年(大正15年)、明治神宮相撲場として開設された。宮武三郎が神宮球場の外野スタンド増築前に場外ホームランをここに打ち込んだという。1947年(昭和22年)から1948年にかけて大相撲の本場所興行が行われた。その後野球場に改築されることになり、1961年に竣工したが国鉄スワローズの移転の見込みに伴いすぐに増改築が行われた。当初は神宮球場のレフトスタンドとセンターが接する形となっていたが、一塁側スタンド(現在のゴルフ練習場)が接する向きに変更された。以前フィールドは全面クレー舗装だったが、1993年(平成5年)に人工芝が敷設された。2020年の東京五輪では当敷地を投擲種目の練習場とすることになっているが、具体案は公表されていない。 球場自体の用地が狭隘で外野後方には道路があるため外野スタンドがなく、フェンスに沿って高い防球ネットが張られていた。また1・3塁側についてもベンチを越えた内野以降は座席が設けられていなかった。メインスタンド(バックネット裏)は二層式スタンドで、通常は1階席の部分のみ開放。多客時には2階も開放されていた。2階席の一部には神宮球場のグラウンドを見下ろすことができるエリアがあり、神宮球場で試合が行われている場合は満員時を除き立ち入り禁止となっていた。 座席は本球場の外野席と同様の背もたれのない一人用となっており、バックネット裏上段に机付きの記者席もあった。高校、大学野球ではダッグアウト上のスペースで応援団員がエール交換等を行っていた(最大3名程度)。 券売窓口が1つで、1・3塁側にそれぞれ入り口があった。売店は球場入口正面にのみ設置、限られた種類の飲食を販売していた。 2019年までは東京都高等学校野球連盟主管の大会(夏の高校野球東東京大会や春季・秋季大会)に使用されていた。以前は創設当初の首都大学野球連盟、東京新大学野球連盟や東都大学野球連盟の2部リーグも使用していたが大学野球は日程が祝日になった場合、加盟校のグラウンドを使用するため、原則として明治神宮大会、及び東京都高野連主管大会で使用する場合を除いて、アマチュア野球が第2球場を週末(土・日)と祝日に使うことはなかった。明治神宮大会ではかつて高校の部は準決勝までの試合が行われ、以後本球場への開催に移った際も大学の部1回戦は数試合が組まれていた(明治神宮大会では本球場との共通券が販売され、各球場分で両辺が切り取れる形態となっていた)。また多くの入場が見込まれる試合は本球場での開催に変更されることもあった。末期は夏季大会の準々決勝や秋季大会の準決勝以降の会場から外されるなど、高校野球での使用も減少傾向にあった。 なお東都大学2部リーグでは1973年から第2球場を主会場としていたが、球場が狭いことにより打球が場外に飛び出すケースが比較的多いことや、施設の老朽化などから、2013年秋季をもって第2球場の使用を中止することになり、2014年春季リーグ戦以後は、2部リーグに加盟する大学のグラウンド、町田市小野路球場等での実施を経て首都圏公営球場で開催している(ただし、東京六大学連盟のその週の大会が日曜日までに終わっていれば、神宮球場を会場として使う場合もあった)。また、かつて1部リーグや2部以下の入替戦も開催実績がある(雨天順延等で本球場での試合消化が難しい際)。 上記事情によりプロ野球1軍の試合には使用されていないが、過去に2軍・イースタン・リーグの試合に使用された例はある(1962年の国鉄対大毎戦他)。 また第二球場は明治神宮外苑ゴルフ練習場(外苑ゴルフクラブ)の西練習場を兼ねており、一塁側ダッグアウト付近から右翼ポール際にかけてゴルフ練習用の打席が121打席設置されている。ゴルフ練習場のうち東練習場は通年営業しているが、第二球場を兼ねる西練習場は、アマチュア野球公式戦の行われる日は早朝(基本的に6時 - 8時45分)と夜間(アマチュア野球大会の試合終了後から深夜)のみの営業となる。アマチュア野球公式戦が行われる時間帯以外はゴルフ練習場として供用しており、野球場としての草野球の一般利用は受け付けていない(ゴルフのみ運営の場合でも9:00-9:30はボールの回収作業を行うため利用不可。また周辺道路や施設への影響を考慮し、練習場では飛距離を抑制した低反発球を使用することになっており、一般のゴルフコースや他のゴルフ練習所で使用する通常のボールの使用・持ち込みは厳禁となっている)。ゴルフ西練習所は1973年(昭和48年)に設置された(東練習所=第2球場東隣はその前年の1972年開設)。 フェンス広告はないが、ゴルフ練習場として活用されていることを踏まえて、レフト側にゴルフ関連の広告看板が設置されている。また、過去には、神宮球場に合わせて右翼側のスコアボード上に、SEIKOの広告看板が設置されていた。 東都2部撤退後の2014年頃から外野を中心として人工芝の劣化が顕著となり、2016年頃には外野の大半は下地がむき出しの黒ずんだ状態となっていた。2017年頃から一部の芝が張り替えられたもののそれ以降も外野の芝は継ぎ接ぎ状態であり、センターからライト方向深くの芝は最後まで黒ずんだ状態で使用された。 2019年11月3日の秋季東京都高等学校野球大会準々決勝日大三-帝京戦を最後に野球場としての使用は終了した。奇しくも東京を代表する名門校同士の対戦となり、試合前には東京都高野連による高校野球全日程終了の式典が行われた。試合終了後には両校の選手・監督らによる記念撮影が行われ、ともに全国でも屈指の名将として知られる帝京監督の前田三夫、日大三監督の小倉全由(関東一高監督も歴任)は健闘を讃え合うとともに球場への感謝の思いを語った。その後2019年末までゴルフ場としての営業が継続されたのち、2020年以降は東京オリンピックに向けた資材置き場となっている。前述の通り、神宮外苑地区の再開発に伴い、2021年をもって第二球場は解体され、跡地には新秩父宮ラグビー場が建設される予定であるが、東京オリンピックが2021年に延期されたためその動向は不明であった。2021年1月15日、スポーツ庁はラグビー振興に関する関係者会議を開き、新秩父宮ラグビー場を完全密閉型屋根付きのスタジアムとする方針を決定した。グラウンドは人工芝にして多用途に対応し、収容人数は2万人規模を想定している。2023年~2026年に予定されている第1期工事では南側をオープンにしたスタンドが3方向のスタジアムとして整備される。現在の神宮球場が取り壊された後に、南側のスタンド及び屋根の設置工事が行われるため、最終的な工事完成は2033年からずれ込む見通しである。 2019年(平成31年)2月22日時点の明治神宮第二野球場 北側は工事中の国立競技場 明治神宮第二野球場正面入り口 隣接は明治神宮野球場 南側は明治神宮野球場 同左
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