大学の部
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全日本大学野球連盟の協力の下に全国各地の大学野球リーグの秋季大会の優勝チームなどの中から11チームが参加してトーナメントで行われる。大学野球の成立経緯の事情に加えて、神宮球場主催による招待大会という色合いが濃いため、以前から神宮球場を主会場にしている東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟のみは単独出場枠を持つ(第35回大会以前はその他にも単独枠連盟があった)。他の代表に関しては地域単位で複数連盟間での代表決定戦が実施されている。 春季の全日本大学野球選手権大会(他スポーツ競技でのインカレに相当)と合わせて大学野球の春秋の2大全国大会となっているが、出場校の数からしても、あくまで全日本大学野球選手権大会が大学野球の第一の全国大会としている。しかし、全日本大学野球選手権と明治神宮大会の出場校数枠を比較すると選抜高校野球(出場校32校程度)と同じで神宮大会に出場するには出場校数枠が少なく数々の代表決定戦(リーグ戦・トーナメント戦など)に勝利しなければ出場できない狭い門で地域の大学(東京六大学・東都大学野球連盟以外の大学)にとっては大学野球選手権大会に匹敵する名誉な大会である。またリーグ優勝校でなくとも上位校は代表決定戦に進出し出場機会がある地域もある。全日本大学選手権は東京ドーム併用(2005年から)だが、本大会は大学野球の聖地・神宮球場で全試合を行う(第二球場併用の時期もあった)。 初期の頃は、全日本大学野球選手権大会と全く同じ出場枠であったり、選手権優勝校招待枠があったり、東京六大学野球連盟や東都大学野球連盟の両連盟からは2校以上の出場枠があったりなど、その年度により開催内容が度々変更されたが、8回大会で8校制に、さらに11回大会から10代表制度になった。 この11回大会(1980年)での改編では、新たな単独出場枠が設定された一方で毎回の出場権が消滅してしまい隔年でしか代表権がないという特異な出場枠の地区も一部で誕生した。 その後、地方での強豪校の台頭に伴い、その方法への不満が高まり、次第に地区主導での見直しが始まった。その結果、当該連盟同士の合意の下で代表決定戦制度が順次復活していき(地区により導入年度は異なる。北海道東北5連盟では1987年、中四国3連盟は1992年、九州3連盟は1994年)、2005年度の第36回大会からは隔年招待枠が全廃となり、これにより全ての連盟に毎回の出場の機会が開け今日に至っている(代表枠変遷の項も参照)。
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1970年(第1回大会)全日本大学野球選手権大会と同様の15代表に加えて同年の選手権優勝校を招待し16代表制により実施。但し、同年秋の愛知大学野球連盟代表と選手権優勝校が同一だったため、実際には15校により実施。 1972年(第3回大会)出場枠改編。 東京六大学野球連盟から4校 東都大学野球連盟から2校 以下の組み合わせから各1校北海道地区大学野球連盟+北部地区大学野球連盟(東北大学野球連盟+仙台六大学野球連盟) 首都大学野球連盟 神奈川五大学野球連盟 関東地区(東部地区(2連盟)+東京新大学野球連盟) 中部地区(2連盟)+愛知大学野球連盟 関西大学野球連合 西部地区(2連盟)+広島六大学野球連盟 九州地区(2連盟)+九州六大学野球連盟 の計14代表制に変更。 1973年(第4回大会)出場枠改編。東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟を各1校とし、首都大学野球連盟と神奈川五大学野球連盟のそれぞれの単独枠を廃止して既設の関東地区に編入して合わせて1代表とし、計8代表制に変更。 1975年(第6回大会)出場枠改編。東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟を各2校とし、計10代表制に変更。 1977年(第8回大会)出場枠改編。東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟を各1校に戻し、計8代表制に変更。 1980年(第11回大会)出場枠改編。東京六大学、東都、関西連合の各1校ずつの他に新たに首都大学連盟と愛知大学連盟を各1校の単独枠とした。またこの年から、北海道地区、東京新大学野球連盟、神奈川大学野球連盟、広島六大学野球連盟、九州六大学野球連盟の以上5つの各地区・連盟の5代表が出場できる年と、東北地区、東部地区、中部地区、西部地区、九州地区の以上各5地区の5代表校が出場できる年が1年おきに交代する方式を導入。合計で毎年10代表とする方法に変更 1982年(第13回大会)同年春の関西大学野球連合の解体に伴い選手権と同様に関西地区として5連盟で1枠とした。但し代表校を出す連盟は、選手権大会への関西地区代表決定戦で優勝したチームの所属連盟の秋季優勝校をそのまま出場とした。 1984年(第15回大会)関西地区の代表校選出に関して選手権大会と同様に5連盟間での代表決定戦を導入(各連盟1代表によるトーナメント)。 1987年(第18回大会)交互に隔年出場であった北海道地区大学野球連盟と北部地区(東北大学野球連盟+仙台六大学野球連盟)の代表枠にて毎年代表決定戦を行なう制度を導入(両地区代表による2戦先勝制)。 1991年同年の全日本大学野球選手権大会の出場枠変更に伴い全日本大学野球連盟の組織が一部改編。北部地区(同年中に東北地区と改称)が北東北大学野球連盟と南東北大学野球連盟(仙台六大学野球連盟+南奥羽大学野球連盟)に、東部地区は北関東甲信越大学野球連盟と千葉県大学野球連盟に、中部地区は東海地区大学野球連盟と北陸大学野球連盟に、西部地区かは中国地区大学野球連盟と四国地区大学野球連盟に、九州地区は福岡六大学野球連盟と九州地区大学野球連盟にと、それぞれに単独の代表権が与えられ連盟組織としても独立したが、本大会における代表枠編成には変更なし。ただし、本大会における代表決定の都合と、選手権での代表枠増の措置が実施当初は3年間の試験的運用後に継続を正式決定するとして導入され、運用過渡期として秋季に限ってはそれまで行なっていた各地区編成での運営も残されることになった。 1992年(第23回大会)交互に隔年出場であった広島六大学野球連盟と西部地区(中国地区大学野球連盟・四国地区大学野球連盟)の代表枠にて代表決定戦を導入(各連盟1代表制による総当り戦)。 1994年(第25回大会)交互に隔年出場であった九州六大学野球連盟と九州地区(福岡六大学野球連盟+九州地区大学野球連盟)の代表枠にて代表決定戦「ユニバーシアード記念九州大学野球選手権大会」を導入(各連盟3代表9校によるリーグ戦優勝校シード制のトーナメント)。 1996年 北海道東北地区代表決定戦を第1回北海道東北地区大学野球選手権大会として実施。 1997年(第28回大会)北海道(札幌学生野球連盟+北海道学生野球連盟)・東北地区の代表決定戦を各連盟1代表4校によるトーナメントに変更。 1999年(第30回大会)全日本大学野球連盟の組織一部改編(南東北地区から仙台六大学野球連盟と南奥羽大学野球連盟を独立)に伴い、北海道・東北地区の代表決定戦を各連盟1代表5校でのトーナメントに変更。 2003年(第34回大会)北海道・東北地区の代表決定戦において北海道地区から第3代表を加える方式に変更。また関西地区代表決定戦を兼第1回関西地区大学野球選手権大会として実施。 2005年(第36回大会)出場枠改編。首都大学野球連盟、愛知大学野球連盟の単独枠を廃止。また同時に、関甲新大学野球連盟・千葉県大学野球連盟2連盟、東京新大学野球連盟、東海地区大学野球連盟・北陸大学野球連盟2連盟、神奈川大学野球連盟の隔年代表制の全てを廃止。それらに代わり新たに、関東地区5連盟(関甲新大学野球連盟・千葉県大学野球連盟・東京新大学野球連盟・首都大学野球連盟・神奈川大学野球連盟)として2校、北陸東海3連盟(愛知大学野球連盟・東海地区大学野球連盟・北陸大学野球連盟)で1校とし代表決定戦を実施。更に関西地区を1増の2代表に変更。同年行なわれた代表決定戦は次の通り。 関東5連盟は各リーグ1代表の5校によるトーナメントを実施し、優勝校が第1代表(本大会にて2回戦から出場)、準優勝校が第2代表(本大会にて1回戦から出場)となる。 北陸東海3連盟は各リーグ1代表の3校によるトーナメントを実施し優勝校が代表校になる。 関西地区5連盟は先ず各リーグ1代表の5校による第1代表決定トーナメントを実施し優勝校を第1代表(本大会にて2回戦から出場)とし、第2代表(本大会にて1回戦から出場)は第1代表トーナメントで敗退した順番に順次対戦していくステップラダーによる敗者復活戦で最終的に残ったチームを当てる。 これにより、フリー抽選で組み合わせが決定する枠は、2回戦枠の6枠中2枠に実質神宮枠としてある東京六と東都を最初に決勝まで当たらない枠に振り分け、次に関東第1代表と関西第1代表を残った4枠中の2枠にそれぞれ割り当て、1回戦4枠中2枠は関東第2代表と関西第2代表が事前に当てられるため、残り2回戦2枠と1回戦2枠分の4枠となる。なお、事前抽選での組み合わせの際、関東の代表同士と関西の代表同士のが早い段階で対戦しないような考慮などは特に行なわれていない。 2005年 2006年度の神宮大会の北陸東海3連盟の代表決定戦を「中部地区大学野球王座決定戦」と改名し、対戦方法を変更する事を12月に発表。各リーグ2代表の6校によるトーナメントを実施し優勝校が代表校になる。但し組み合わせ方法は次のように固定される。 1回戦(ア)東海2位 対 北陸2位 (イ)北陸1位 対 愛知2位 準決勝愛知1位 対(ア)の勝者 東海1位 対(イ)の勝者 2006年 関東地区の代表決定戦を従来の関西地区の代表決定戦に倣い、第2代表決定には敗者復活戦を導入。また、関西地区の第一代表決定戦の組み合わせを無差別抽選制から、同地区主催により6月に開催される関西地区五大学野球連盟対校戦の優勝連盟代表をスーパーシードにする方法に変更(他4連盟代表優勝校との対戦が第一代表決定戦になり、第一代表決定戦に敗れた場合は、従来どおり、ステップラダー方式による敗者復活戦での第二代表決定戦に回る)。 2007年 関東地区の代表決定戦の実施要綱を変更。参加5連盟から各2代表が出場し、第一代表シード制によるトーナメント(決勝までは同一連盟代表同士は対戦しないことを考慮)を行い、優勝校を関東第一代表、準優勝校を第二代表とする方法に改めた。 2008年 2000年の組み合わせから連続で続いていた、東京六と東都の両シード枠の位置(1回戦の勝者と2回戦で対戦する位置)が9年ぶりに変更になり、2回戦から開始同士で対戦する位置になった(1999年以前は両方法が1年ごとに交代する方法を採っていた)。 2009年 従来の関西地区2代表の決定方法を変更。同地区所属の五連盟協議会主催により6月に開催される関西地区五大学野球連盟対校戦優勝連盟の秋季リーグ優勝校は、従来の秋季に行われる関西地区大学野球選手権大会のスーパーシード権(決勝戦が初戦となるシード権)が与えられる他に、明治神宮野球大会(大学の部)の出場権も同時に確保される(第一代表決定戦に敗れても従来行われていた敗者復活戦には回らない)。これにより、秋季の関西地区大学野球選手権大会で従来行われていた敗者復活戦制度は廃止となり、決勝進出チームが神宮大会の関西代表残りの一枠となる。すなわち、秋季の関西地区大学野球選手権大会の決勝戦は、関東地区の場合と同様の第一代表・第二代表の決定戦に変更された。 2009年 大会40周年を記念して北海道東北地区の代表枠を分離。北海道で1枠、東北で1枠とし全出場校数を11代表制に増枠・変更。 ※上記した地区編成は全日本大学野球連盟での同時期の組織運営編成に準じる。
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