大学の部とは? わかりやすく解説

大学の部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:54 UTC 版)

明治神宮野球大会」の記事における「大学の部」の解説

全日本大学野球連盟協力の下に全国各地大学野球リーグ秋季大会優勝チームなどの中から11チーム参加してトーナメント行われる大学野球成立経緯事情加えて神宮球場主催による招待大会という色合いが濃いため、以前から神宮球場主会場にしている東京六大学野球連盟東都大学野球連盟のみは単独出場枠を持つ(第35回大会以前その他に単独枠連盟があった)。他の代表に関して地域単位複数連盟間での代表決定戦実施されている。 春季全日本大学野球選手権大会(他スポーツ競技でのインカレに相当)と合わせて大学野球春秋の2大全国大となっているが、出場校の数からしても、あくまで全日本大学野球選手権大会大学野球第一全国大会としている。しかし、全日本大学野球選手権明治神宮大会出場校比較する選抜高校野球出場校32程度)と同じで神宮大会出場するには出場校少なく数々代表決定戦リーグ戦トーナメント戦など)に勝利しなければ出場できない狭い門で地域大学東京六大学東都大学野球連盟以外の大学)にとっては大学野球選手権大会匹敵する名誉な大会である。またリーグ優勝校でなくとも上位校は代表決定戦進出し出場機会がある地域もある。全日本大学選手権東京ドーム併用2005年から)だが、本大会大学野球聖地神宮球場全試合を行う(第二球場併用時期もあった)。 初期の頃は、全日本大学野球選手権大会と全く同じ出場枠であったり、選手権優勝招待があったり、東京六大学野球連盟東都大学野球連盟の両連盟からは2校以上の出場枠があったりなど、その年度により開催内容が度々変更されたが、8回大会で8校制に、さらに11大会から10代制度になった。 この11大会1980年)での改編では、新たな単独出場枠設定され一方で毎回出場消滅してしまい隔年でしか代表権がないという特異な出場枠地区一部誕生したその後地方での強豪校台頭に伴いその方法への不満が高まり次第地区主導での見直し始まったその結果当該連盟同士合意の下で代表決定戦制度順次復活していき(地区により導入年度は異なる。北海道東北5連盟では1987年中四国3連盟1992年九州3連盟1994年)、2005年度第36回大会からは隔年招待全廃となり、これにより全ての連盟毎回出場機会開け今日至っている(代表枠変遷の項も参照)。

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大学の部

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明治神宮野球大会」の記事における「大学の部」の解説

1970年第1回大会全日本大学野球選手権大会同様の15代表に加えて同年選手権優勝校を招待し16代表制により実施。但し、同年秋の愛知大学野球連盟代表と選手権優勝校が同一だったため、実際に15校により実施1972年第3回大会出場枠改編東京六大学野球連盟から4校 東都大学野球連盟から2校 以下の組み合わせから各1校北海道地区大学野球連盟+北部地区大学野球連盟東北大学野球連盟+仙台六大学野球連盟首都大学野球連盟 神奈川五大野球連盟 関東地区東部地区(2連盟)+東京新大学野球連盟中部地区(2連盟)+愛知大学野球連盟 関西大学野球連合 西部地区(2連盟)+広島六大学野球連盟 九州地区(2連盟)+九州六大学野球連盟 の計14代表制変更1973年第4回大会出場枠改編東京六大学野球連盟東都大学野球連盟を各1校とし、首都大学野球連盟神奈川五大野球連盟それぞれの単独廃止して既設関東地区編入し合わせて1代表とし、計8代表制に変更1975年第6回大会出場枠改編東京六大学野球連盟東都大学野球連盟を各2校とし、計10代表制に変更1977年第8回大会出場枠改編東京六大学野球連盟東都大学野球連盟を各1校に戻し、計8代表制に変更1980年第11回大会出場枠改編東京六大学東都関西連合の各1校ずつの他に新たに首都大学連盟愛知大学連盟を各1校の単独とした。またこの年から、北海道地区東京新大学野球連盟神奈川大学野球連盟広島六大学野球連盟九州六大学野球連盟の以上5つ各地区・連盟の5代表が出場できる年と、東北地区東部地区中部地区西部地区九州地区の以上各5地区5代表校が出場できる年が1年おきに交代する方式導入合計毎年10代表とする方法変更 1982年第13回大会同年春の関西大学野球連合解体に伴い選手権同様に関西地区として5連盟1枠とした。但し代表校を出す連盟は、選手権大会への関西地区代表決定戦優勝したチーム所属連盟秋季優勝校をそのまま出場とした。 1984年第15回大会関西地区代表校選出に関して選手権大会同様に5連盟間での代表決定戦導入(各連盟1代表によるトーナメント)。 1987年第18回大会交互に隔年出場であった北海道地区大学野球連盟北部地区東北大学野球連盟+仙台六大学野球連盟)の代表にて毎年代表決定戦行なう制度導入(両地区代表による2戦先勝制)。 1991年同年全日本大学野球選手権大会出場枠変更に伴い全日本大学野球連盟組織一部改編北部地区同年中に東北地区改称)が北東北大学野球連盟南東北大学野球連盟仙台六大学野球連盟+南奥羽大学野球連盟)に、東部地区北関東甲信越大学野球連盟千葉県大学野球連盟に、中部地区東海地区大学野球連盟北陸大学野球連盟に、西部地区かは中国地区大学野球連盟四国地区大学野球連盟に、九州地区福岡六大学野球連盟九州地区大学野球連盟にと、それぞれに単独代表権与えられ連盟組織としても独立したが、本大会における代表編成には変更なし。ただし、本大会における代表決定の都合と、選手権での代表増の措置実施当初3年間の試験的運用後に継続正式決定するとして導入され運用過渡期として秋季限ってそれまで行なっていた各地編成での運営残されることになった1992年第23回大会交互に隔年出場であった広島六大学野球連盟西部地区中国地区大学野球連盟四国地区大学野球連盟)の代表にて代表決定戦導入(各連盟1代表制による総当り戦)。 1994年第25回大会交互に隔年出場であった九州六大学野球連盟九州地区福岡六大学野球連盟+九州地区大学野球連盟)の代表にて代表決定戦ユニバーシアード記念九州大学野球選手権大会」を導入(各連盟3代表9校によるリーグ戦優勝シード制トーナメント)。 1996年 北海道東北地区代表決定戦第1回北海道東北地区大学野球選手権大会として実施1997年第28回大会北海道札幌学生野球連盟+北海道学生野球連盟)・東北地区代表決定戦を各連盟1代表4校によるトーナメント変更1999年第30回大会全日本大学野球連盟組織一部改編南東北地区から仙台六大学野球連盟南奥羽大学野球連盟独立に伴い北海道・東北地区代表決定戦を各連盟1代表5校でのトーナメント変更2003年第34回大会北海道・東北地区代表決定戦において北海道地区から第3代表を加え方式変更。また関西地区代表決定戦を兼第1回関西地区大学野球選手権大会として実施2005年第36回大会出場枠改編首都大学野球連盟愛知大学野球連盟単独廃止。また同時に、関甲新大野球連盟千葉県大学野球連盟2連盟東京新大学野球連盟東海地区大学野球連盟北陸大学野球連盟2連盟神奈川大学野球連盟隔年代表制全て廃止。それらに代わり新たに関東地区5連盟(関甲新大野球連盟千葉県大学野球連盟東京新大学野球連盟首都大学野球連盟神奈川大学野球連盟)として2校、北陸東海3連盟愛知大学野球連盟東海地区大学野球連盟北陸大学野球連盟)で1校とし代表決定戦実施。更に関西地区を1増の2代表に変更同年行なわれ代表決定戦次の通り関東5連盟各リーグ1代表の5校によるトーナメント実施し優勝校が第1代表(本大会にて2回戦から出場)、準優勝校が第2代表(本大会にて1回戦から出場)となる。 北陸東海3連盟各リーグ1代表の3校によるトーナメント実施し優勝校が代表校になる。 関西地区5連盟先ず各リーグ1代表の5校による第1代表決トーナメント実施し優勝校を第1代表(本大会にて2回戦から出場)とし、第2代表(本大会にて1回戦から出場)は第1代表トーナメント敗退した順番順次対戦していくステップラダーによる敗者復活戦最終的に残ったチーム当てる。 これにより、フリー抽選組み合わせ決定するは、2回戦の6中2実質神宮としてある東京六と東都最初に決勝まで当たらない振り分け次に関東第1代表と関西第1代表を残った4枠中の2枠それぞれ割り当て1回戦4枠中2関東第2代表と関西第2代表が事前に当てられるため、残り2回戦2枠1回戦2枠分の4枠となる。なお、事前抽選での組み合わせの際、関東の代表同士関西の代表同士のが早い段階対戦しないような考慮などは特に行なわれていない2005年 2006年度の神宮大会北陸東海3連盟代表決定戦を「中部地区大学野球王座決定戦」と改名し対戦方法変更する事を12月発表各リーグ2代表の6校によるトーナメント実施し優勝校が代表校になる。但し組み合わせ方法次のように固定される1回戦(ア)東海2位 対 北陸2位 (イ)北陸1位 対 愛知2位 準決勝愛知1位 対(ア)の勝者 東海1位 対(イ)の勝者 2006年 関東地区代表決定戦従来関西地区代表決定戦倣い第2代表決定には敗者復活戦導入また、関西地区第一代表決定戦組み合わせ無差別抽選制から、同地区主催により6月開催される関西地区五大野球連盟対校戦の優勝連盟代表をスーパーシードにする方法変更(他4連盟代表優勝校との対戦第一代表決定戦になり、第一代表決定戦敗れた場合は、従来どおり、ステップラダー方式による敗者復活戦での第二代表決定戦に回る)。 2007年 関東地区代表決定戦実施要綱変更参加5連盟から各2代表が出場し第一代表シード制によるトーナメント決勝までは同一連盟代表同士対戦しないことを考慮)を行い優勝校を関東第一代表、準優勝校を第二代表とする方法改めた2008年 2000年組み合わせから連続続いていた、東京六と東都の両シード位置1回戦勝者2回戦対戦する位置)が9年ぶりに変更になり、2回戦から開始同士対戦する位置になった1999年以前両方法が1年ごとに交代する方法を採っていた)。 2009年 従来関西地区2代表の決定方法変更同地区所属の五連盟協議会主催により6月開催される関西地区五大野球連盟対校優勝連盟秋季リーグ優勝校は、従来秋季行われる関西地区大学野球選手権大会のスーパーシード決勝戦初戦となるシード権)が与えられる他に、明治神宮野球大会(大学の部)の出場同時に確保される第一代表決定戦敗れて従来行われていた敗者復活戦には回らない)。これにより、秋季関西地区大学野球選手権大会従来行われていた敗者復活戦制度廃止となり、決勝進出チーム神宮大会関西代表残りの一となる。すなわち、秋季関西地区大学野球選手権大会決勝戦は、関東地区場合同様の第一代表・第二代表の決定戦変更された。 2009年 大会40周年記念して北海道東北地区の代表分離北海道1枠東北1枠とし全出場校数を11代表制増枠変更。 ※上記した地区編成全日本大学野球連盟での同時期の組織運営編成準じる

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