関西連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 08:53 UTC 版)
「優勝内国産馬連合競走」の記事における「関西連合」の解説
1923年(大正12年)にようやく競馬法が可決され、15年ぶりに馬券が復活した。 兵庫県の阪神競馬倶楽部(鳴尾競馬場)では長年にわたり馬政局へ関西での連合競走の創設を陳情していたが、1924年(大正13年)にこれが実現した。全国優勝連合内国産馬競走が行われることになり、各内国産馬連合競走として創設された。一般には東京の連合競走と区別して阪神連合や関西連合などと通称されていた。 関西での連合競走創設を受けて東京の優勝内国産馬連合競走の出走条件が変更になり、阪神の各内国産馬連合競走で優勝したものは、東京の優勝内国産馬連合競走には出走できないことになった。こうして「連合競走」は、東西それぞれのチャンピオン決定戦となった。 東京と同じように競走名はのちに各内国産古馬競走になり、さらに1932年(昭和7年)からは農林省賞典競走となった。
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