関西貿易会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 02:29 UTC 版)
田中は当時から世界の大勢に着目し、1881年(明治14年)に北海道に渡る。この頃北海道に渡るということは、その後の渡米以上の遠隔地への探検旅行でこれは、関西貿易会社に関してであった。同年6月、五代友厚は中野梧一、広瀬宰平、杉村彦太郎、藤田伝三郎その他の有志とはかり、資本金100万円をもって関西貿易社を創立し、本社を大阪靭北通一丁目三番地においた。当時政府はには開拓使を廃し、官有物一切を民間に払い下げようとする議があり、それと相表裏して五代友厚は、中野吾一、田中市兵衛とともに北海道に至り、つぶさに各地の状況を視察し、まず、岩内炭坑および厚岸山林の払い下げをうけ、石炭、木材を海外に輸出して、国富の増進をはかるとともに、北海道沿岸の海産物を採取して、内地の需要にあてようとし、14年7月このことを開拓長官に出願した。この会社は1890年(明治23年)12月に解散する。
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