高校の部
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実質的な新人戦トーナメントである全国の各秋季地区大会で優勝した10チーム(各地区から1校ずつ。ただし東京都は東京地区として他の関東地区と切り離した単独の出場枠)によってトーナメントを行い、優勝チーム所属地区は翌年の選抜高等学校野球大会の出場枠(神宮大会枠)を1つ多く獲得できる。 第4回大会から始まった高校の部であるが、2001年の第32回大会までは前述した様な神宮大会枠の恩恵等は全くなく、初期を除く長い間代表校も8校制で全国全てからの出場枠があるわけでもなかった(代表枠変遷の項も参照)。また、地区によってはその代表校が必ずしも地区大会優勝校ではなく、秋季県大会4位校や、春夏通じて全国大会出場歴のない高校を当てるなどその取り組み姿勢はまちまちなものであった。しかし、地区大会優勝校の招待や神宮大会枠の設置等、運営方法が改善され、チャンピオンシップ大会として確立された。 なお、高校の部の前史としては、1924年-1943年に明治神宮中等野球大会が開催され、1951年には単発にその年の秋季地区大会を制した各校を招待して明治神宮野球場で開催(高等学校野球 地区代表大会、優勝:日大三高)し、前述の通りに1968年開催の記念大会には高校の部としての開催(優勝:日体荏原高等学校)があった。これらの前史の大会運営関係者としての経験や記憶が、第4回大会から現在まで続く形での高校の部設立に繋がった。
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高校の部
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1973年(第4回大会) - 高校の部開始。10代表制 1982年(第13回大会) - 8代表制に縮小。北海道・東北、中国・四国地区はそれぞれ隔年代表権交代制になる。 1999年(第30回大会) - 10代表制に変更。 2000年(第31回大会) - 招待・代表校を地区優勝校に規定。 2002年(第33回大会) - 選抜高等学校野球大会の出場枠(神宮大会枠として優勝校の所属地区に1枠)の設置。 2007年(第38回大会) - 神宮枠対象の選抜高等学校野球大会が、記念大会による出場枠増加に伴い同年のみの措置として神宮大会枠は決勝進出校の所属地区2枠になる。また、この年より組み合わせが東西で別れるようになった(東海・近畿・中国・四国・九州で1ブロック、北海道・東北・関東・東京・北信越で1ブロック)。 2011年(第42回大会) - 組み合わせの東西分けが撤廃。
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